百六十年味噌
安政年代
尚泰王の時代
琉球王家御用達の
誇りと歴史をつなぐ
百六十年味噌
11月の週末2泊3日滞在40時間の沖縄弾丸実証実験ツアーを決行。
感染対策を十二分に講じて、4年ぶりの沖縄を訪れました。
金曜18時に那覇空港到着、宜野湾の超人気ビストロで夕食を満喫、
翌日は「見せる復興」が進む首里城、読谷村「やちむんの里」を巡り、
北谷町の絶品「浜屋そば」で貴重なランチをした後は
「道の駅かでな」で基地の町の歴史と現実を体感しました。
町の面積の83%が米軍基地に占められている嘉手納町。
農業をする耕作地も少ないため、
普通の道の駅でおなじみの農産物直売所などは併設されていません。
1階の売店でも野菜などの農産物を見かけることはありませんでした。
嘉手納町は中国から沖縄へさつまいもを伝えた野國總官の出身地、
タイミングが合えば、町自慢のブランド「野國いも」が並ぶことも
あるようですが、市街地も畑も基地に追いやられるように暮らす、
83%の日常を垣間見たように思います。
代わりに並ぶ戦闘機や軍用機の絵葉書、ドックタグのアクセサリーなどを
眺めながら売店の中を歩いていると、あ、こんなところで出会えるとは。
「創業160年 首里の小さなみそ屋 玉那覇味噌」なるPOP発見。
戦争を乗りこえ沖縄に最後まで残った首里城下の老舗醸造所のお味噌です。
「玉那覇味噌醤油」。
首里城から直線距離で500mほどの城下町にある醸造所。
かつて琉球王朝の士族の住まいだった歴史ある建物で、
5代に渡って伝統的な天然醸造で味噌や醤油を造り続けています。
創業は琉球王国最後の王であった尚泰王の時代、
江戸末期の安政年間(1855~60年)で、王家御用達として
味噌や醤油を首里城に納めていました。
二代目の頃、明治の廃藩置県により士族が首里から離れていったため、
その屋敷の一つを買い取って現在の地に移ってきたそうです。
首里は高台にありながらお水がとてもよく、
雨がサンゴ礁の石灰岩に浸透して湧いてきた地下水が醸造に最適で、
工場を囲む厚さ3尺余りの石垣は通気性に富み、工場内の温度が一定に保たれ、
味噌や醤油の自然な発酵を助けてきたのでした。
玉那覇味噌は戦前に最盛期となりますが、沖縄が戦場となり、
首里城近辺は米軍の集中砲火を浴びて、工場も爆風で倒壊してしまいます。
しかし、中の機材、材料、そして味噌屋の命である麹菌が無事だったため、
伝統の味噌造りが途切れることなく沖縄で最後まで残った醸造所となったのです。
以前の沖縄旅で首里の城下町を歩いた時、
この風格ある「玉那覇味噌醤油」の建物を訪れたのですが、
残念ながら定休日で、ご自慢のお味噌を買うことができませんでした。
今回は時間がないためあきらめていたところ、まさかの出会い。
「道の駅かでな」で戦争を生き延びた首里のお味噌に出会えた。
なんか、すごく、嬉しい。麹菌が命をつないでいてくれたおかげです。
ん?「料理研究家 土井義春先生もご愛用」とPOPに書かれていますぞ。
首里の上質な水、100%丸大豆、国産米、シママース(沖縄の塩)だけを使い、
食品添加物や化学調味料は一切使用しない伝統の天然醸造の味は
土井先生の舌をもうならせているのですね。
さっそく「まるたま 王朝味噌(750g)」をゲット。
ずしりと手に感じるお味噌の重みは、沖縄の歴史の重み。
古都の水と琉球石灰岩の石垣と首里の屋敷に棲む麹菌と味噌造りへの思いが
あの苛烈な戦争を乗りこえ、温かな一杯のお味噌汁になるのだ。
百六十年生き続ける味噌に
ただただ敬意を。
(写真は)
首里の城下町の
「玉那覇味噌醤油」のお味噌に
基地の町「道の駅かでな」で出会う。
味噌の重みは歴史の重み



