サヨナラ中吊り

吊革に

つかまり

揺れる車内で

見上げた世の中

サヨナラ中吊り

ひとつの時代の風景が消えようとしています。

「週刊文春『中づり』見納め」。

今朝の新聞でも報道されていましたが、週刊文春が

8月26日発内号を最後に電車の中吊り広告を終えるそうです。

ライバル紙の週刊新潮も来月に終了する方針だそうで、

都市圏の通勤時に定着していた「中づり」の風景は

猛烈に暑かったこの夏とともに静かに去っていくのですね。

時代の流れとは言え、ちょっと淋しい。

中吊り広告はいわゆる文春砲に代表されるスクープなどが

通勤客の関心を集めてきましたが、広告の校了日が

雑誌よりも1日早いために速報や特報が入れられないなど、

ニュースが次々と流通するネット時代に合わなくなってきました。

出版界も時代のニーズに即応するため、中吊り広告終了で浮いた費用を

電子版に宛てることでネット時代に合わせた宣伝にシフト。

30万部以上の週刊誌では週刊現代が2017年に、週刊ポストが2016年に

すでに中吊り広告から撤退、今回の文春、新潮の終了で、

慣れ親しんだ車内の風景は、ほぼ完全に消えることになるのでした。

週刊文春の編集長も「中づりは雑誌の象徴というべき『ブランド広告』、

終了には寂しさもある」としながらも「電子版に注力し、デジタルの世界で

挑戦していきたい」とコメントしています。

感傷だけでは時代にフィットした情報発信はできないですものね。

でも、一読者としては、中吊りの終焉は、やっぱり淋しい。

札幌の地下鉄はさほど揺れませんが、それでも吊革につかまりながら、

あるいは運良く座れた座席から、派手な活字が躍る文春や新潮の中吊りを

「へぇ~!マジ?」とか「ったく、ヒドイよね」とか見上げていたものだ。

そう、マスクもせず、吊革にもためらいなく触れていた時代、

まわりの乗客たちも、一様に中吊りを興味深気に見上げていた。

週刊誌が伝える世の中の出来事は、頭を上げて見上げるものだったが、

今ではみんなマスクをかけて、頭を下げてうつむいて、

手元のスマホでそれぞれに情報をチェックしている。

世の中の出来事を一斉に見上げる風景から

一人一人うつむいて見たい情報だけをインプットする風景へ。

どっちかいい悪いじゃなくて、もう、とくに風景は切り替わっているのだ。

時代は前へ進むだけ、逆には戻れない、戻らない。

壁新聞も街頭テレビも時の流れとともに消えていった。

電車に乗っている間のつかの間の楽しみだった「中づり」も

「昔、電車で見上げる週刊誌の広告があったんだよ」と

いつか、もし孫でも生まれたら、教える日が来るのかもしれない。

サヨナラ中吊り。

私は、いつも楽しみだったよ。

世の中を見上げて知った風景のこと、

きっと懐かしく思い出すと思うよ。

お疲れさまでした。

(写真は)

柳月の季節のお菓子

ぶどう大福

おやつ時間も

晩夏から秋へ