夢の国
そうだ。
そうだった。
あの場所は
夢の国だった
ほんとにあったんだ
今日5月5日はこどもの日。
最近は青空を泳ぐ鯉のぼりの姿もとんと見かけなくなりましたが、
息子が小さかった頃は動物園に連れて行ったり、
お弁当を持ってピクニックしたり、楽しく過ごしていたことを
ふと懐かしく思い出します。
そんなこどもの日の朝刊のある記事に目が留まりました。
「青い鳥 子の笑顔運んだ」
東京大田区にある一軒のおもちゃ屋さんが
今日64年の歴史に幕を下ろし閉店するそうです。
お店の名前は「青い鳥」。
1957年「子供たちの夢の国でありたい」という願いを店名にこめて開業、
私鉄沿線駅のそばのおもちゃ屋さんはいつも学校帰りの子供たちや
親子連れで賑わい繁盛していたといいます。
80年代の「ガンプラ」ブームの際は入荷するなり飛ぶように売れ、
開店前に行列ができるほど、子供の話し声が絶えなかったそうですが、
潮目が変わったのがバブル頃から。周辺の町工場が消えマンションが建ち、
商店街を行きかう人は増えたのに雑談に興じる人を見かけなくなりました。
15年ほど前からは来店する子どもの数が減りはじめ、
仕入れ先の卸店が立て続けに閉店、そして数年前から増えたのが
店の価格表示とネット通販の価格をスマホで見比べ買わずに帰る親子の姿。
そしてコロナが追い打ちをかけ、閉店を決断したのだそうです。
昭和の高度経済成長期から令和3年3度目の緊急事態宣言の春まで
駅前の商店街で子供たちの成長を見守ってきたお店が消える。
小さなおもちゃ屋さんの歴史は、子どもたちの夢の国の歴史そのもの。
その昔、街のおもちゃ屋さんのウインドウは、夢の国への扉だった。
室蘭の輪西町の商店街にあったおもちゃ屋さんを思い出します。
大きなウインドウにカラフルなお人形やぬいぐるみがいっぱい飾ってあって、
母がお向かいのお肉屋さんでお買い物をしている間、
おかっぱ頭の私はずっとガラスにへばりつくようにして、
うっとり夢見心地で眺めていたものです。
「行くよ」やがて買い物を終えた母が私に声をかける。
「うん」名残惜し気にウインドウに視線を残す私に母は尋ねる。
「なにか、欲しいの?」
「う、ううん、ない、大丈夫」
そうだ。私は、おもちゃ屋さんの前で駄々をこねる子どもではなかった。
別に聞き分けのいい子だったわけじゃなく、
誕生日でもクリスマスでもないのにおもちゃを買ってもらえるわけはないことを
十二分にわかっていただけのことで無駄な抵抗をしなかっただけだ(笑)。
そして、それ以上に、小さな私は幸せだったのだ。
数えきれないほどのお人形やぬいぐるみでいっぱいのおもちゃ屋さんは
「夢の国」であって、現実とは違うと幼心にわかっていたのだ。
だって現実だったらあんなにたくさんのお人形は
狭い我が家に入りきれるわけはなく、
だから「夢の国」のウィンドウを眺めているだけで幸せだったのだ。
夢は、今すぐ手に入らないから、キラキラしてるんだ。
キラキラを全部手に入れたいと思うと、
大事な何かを失うような気もしていた。
おもちゃはお誕生日かクリスマス、そんなお約束が
「我慢」の芽生えにつながっていたとしたら、母の完全勝利だ(笑)。
昭和の商店街に、夢の国は本当にあったのだ。
○○ザラスもネット通販もなかったけれど、
商店街にいけばキラキラ輝く夢の国の扉があった。
人生で大切なことはおもちゃ屋さんのウインドウで学んだ。
私も、昔、子どもだった。
(写真は)
こどもの日。
動物園も遊園地も
おもちゃ屋さんにも行かないけれど
おやつは「柏餅」♪

