湯豆腐のうすあかり
ガンガンと
めいっぱい
温めないで
ゆるゆる、じんわり
湯豆腐のうすあかりよ
昨日は二十四節気の「霜降」、ということで
昨夜の金曜ごはんは今季初の湯豆腐にしてみました。
なんやかやと忙しかったこともあり、時短+晩秋=湯豆腐♪
美味しい方程式を夫が思いついたのでした。グッジョブ。
本当に寒い季節の忙しい日のお助けメニューですねぇ。
家に帰って、手を洗って、土鍋を出して、水と昆布を入れてお酒を加え、
お豆腐と白菜、水菜、長葱、椎茸、エノキ、そして昨夜は鱈も投入、
後は蓋をしてコンロに点火するだけ。
吹きこぼれないように気をつけながらゆらゆら火を通す間に
お醤油・味醂に鰹節をどっさり加えて煮切ったつけだれを準備。
しゅんしゅんと土鍋の蓋から湯気があがり具材に火が通ったら完成、
秋冬のキング・オブ・時短レシピ、ですね~。
まあ、我が家の湯豆腐はいささか具材が多いので、
え~っと・・・どちらかといえば「鱈ちり」に近いかとも思いますが、
「湯豆腐」と「鱈ちり」なの境界線は実にあいまいなので、
我が家的にはポン酢で食べないという点から「湯豆腐」に分類(笑)。
さあ、出来たよぉ~、お鍋が行くよぉ~、熱いよぉ~と
食卓へ警報を発しながら、熱々の土鍋を持っていき中央に鎮座。
蓋を開けると・・・ふわぁ~・・・湯気が・・・
この湯豆腐の湯気を浴びただけで寿命が延びるような気がする。
ふるふるのお豆腐とほくほくの鱈と甘い冬野菜を
鰹節の風味と旨みが凝縮したたれにつけて、はふはふ・・・旨い。
お豆腐の優しい白さがなんとも、じんわり心を暖めてくれますねぇ。
そして、なぜだか、少しだけほんの少しだけ胸の奧がしんみりしてくる。
「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」
ふと、そんな冬の一句が思い出されました。
大正から昭和にかけて活躍した俳人、小説家、劇作家である
久保田万太郎が晩年に詠んだ句です。
浅草生まれの生粋の江戸っ子だった万太郎は
庶民の哀歓や人情を題材にした作品で知られ、文学座の結成にも参加、
文化勲章も受賞した戦後の文壇の中心的存在でありましたが、
友人芥川龍之介や妻の自死、子にも先立たれ、
孤独な晩年を過ごしたとされています。
ほかほか温かい湯気をあげる湯豆腐鍋。
いつしか豆腐の白、湯気の白、そのあえかな白さの向こうに
ふと、限りあるいのちのうすあかりが、見えてくる。
人生の寂寥感を温かい情景に詠みこんだ、印象的な一句です。
急逝する5週間前に銀座百店会の忘年句会で書かれた句だそうで、
辞世の気持ちが詠み込まれているとされる解釈もありますが、
「いのちのはて」を黒や灰色や闇の色ではなく、
「うすあかり」と表したところに、救いを感じます。
いのちのはてに、行きつくのはどんなところなのかわからないけれど、
きっと、湯豆腐の白のような、温かな「うすあかり」に包まれている、
・・・いるはず・・・きっと・・・そうであってほしい。
「いのちのはて」は真っ暗なブラックホールじゃない。
お酒を飲むとよく涙をこぼしていたという万太郎。
冬の夜、湯豆腐の鍋に重ねていたのは
絶望ではなく、ほのかな希望だった、と思いたくなる。
うすあかりの向こうに見ていたのは、
先に旅立った愛する人々の懐かしい顔だったのかなあって。
湯豆腐のうすあかり。
ちょっとじんわり
文学的気分になる晩秋。
(写真は)
湯豆腐?
鱈ちり?
境界線はあいまい(笑)



