洗い流せないもの

正直

少し面倒で

聞いてるふりで

聞いていなかったな

洗い流せないもの

うん、うん、わかるわかる、そうですよね。

朝刊の読者エッセイを読みながら、思わず頷いていました。

母と娘の、ちょっと切ないあるある。

作者は60代の女性、タイトルは「洗い残し」。

いつも早く目覚めた朝、たまにはゆっくりコーヒーを飲もうと、

取り出したカップの底に砂糖がこびりついているのに気づく。

そういえば朝食の皿には目玉焼きの黄身がついていて洗い直したっけ。

ちゃんと洗っているつもりなのに、握力が弱くなっているのか、

単にそそっかしいだけなのか。

そう思った作者の心に蘇ったのは亡き母が生きていたときのこと。

実家の台所を手伝うたびに、どの食器も糸底のまわりが黄色くなっていたが、

それを言うと、目のかすみや指のこわばりを持ち出されるのが面倒で、

黙って洗いながら、母の愚痴を聞き流していた。それが一番楽だったから。

そんな内容でした。

うわ~ん・・・身につまされる・・・。

あるよあるある、ありますよ。

老いて愚痴っぽくなった母の繰り言を、正直めんどくさくなる気持ち、

同じ娘として、ホントによくわかる。

「ふ~ん、そうなんだ、大丈夫だよ、大したことないよ」。

握力がなくなった、腱鞘炎が治らない、手早く動けないと愚痴る母の言葉を

聞いているふりして、聞き流していること、正直あったなぁ。

年の割に若々しいからと、母の衰えに気づかなかったのか、

いや、気づくのが、多分怖かったのかもしれない。

どれほど元気に見えても、年齢による衰えからは免れない。

そんな当たり前のことを、娘は、気づかないふりをしてきたのだ。

その昔は親戚が集まると長男の嫁として大人数の食事を取り仕切り、

仕事を持ちながら、娘のお弁当も手作りおかずを詰めてくれた母も

一人暮らしの台所仕事が少しずつ辛くなっていったのに。

自分の親はいつまでも元気でいてほしいという気持ちも

愚痴に付き合うよりも洗い直した方がラクという気持ちも

娘が年老いた母に抱く、切ないわがまま、なんだと思う。

幾つになっても、心のどこかで、親に甘えているのかもしれない。

「誰でもいつかは通る道」

読者エッセイは亡き母の口癖を思い出し、今更遅いが、

もう少し母の愚痴につきあっておけばよかったと反省していると結ばれています。

黄色い糸底は洗い流せても、母との時間は洗い流せない。

そんなに食べてないつもりなのに、体重が落ちない。

無理して動いたつもりもないのに、小さな筋肉が痛む。

夜中に目が覚めると、なかなか寝付けない。

気づけば、自分も夫に、日々愚痴っている(笑)。

年をとることは、誰もが通る道。

うまくいかないことも増えてくるさ。

愚痴の中に本音が隠れていることもある。

簡単に洗い流せないもの、大切にしなくちゃ、ね。

(写真は)

この秋初の肉じゃが。

今年のでっかなじゃがいもで作りました。

年々、母の味に似てきたような気がする。