昭和のソース

カラリと揚がった

熱々フライに

じゅわっと沁みる

さらさらスパイシー

これが、昭和のソース

ああ・・・懐かしい・・・。

このさらさら感、ほど良い甘さと酸味とスパイシーさ。

そうだ、熱々フライには、ずっとこれだった。

タルタルも中濃も知らなかったあの頃、

昭和のソースと言えば、ウスターソースだった。

先日、久しぶりに訪れた老舗洋食店でのランチタイム、

夫はエネルギー補給?のステーキランチ、

私は大好きな海老フライを注文しました。

運ばれてきたお皿には大きなエビフライが4尾♪

優しい妻は1尾を向かいの夫にお裾分け。

いっただっきま~す!

揚げたて熱々の大きな海老フライにナイフを入れる。

ザクッとサクッの中間の心地よいクリスピーな音、

素人が揚げても、この音は出せない、さすがプロの仕事、

もう、黄金色のヴィジュアルと、この音だけで、

食べる前から、既に美味しい(笑)

まずはココットに添えられた自家製タルタルソースをつけて、

パクリ・・・うっふ~~~ん♪♪やっぱり美味しい、最高。

さて二口めは・・・と、ここで卓上のガラスの器が目に入る。

そうだ、そうだった、洋食屋さんだもの、キミがいたよね。

嬉し懐かしのウスターソースだ。

ガラスの蓋をほんの少し上げて、わずかな隙間から、

慎重に・・・そ~っと・・・ドボドボいかないように・・・

海老フライにさらさらしたウスターソースをかけていく。

黄金色の衣に・・・じゅわっと・・濃い色のソースが沁みる。

そ~っと二口めを運ぶ・・・いや~ん、懐かし~い。

一気に時代は昭和、場所は室蘭のパーラー・コサイにワープした。

子供の頃、デパートにお出かけした帰りのお楽しみといえば

洋食メニューが自慢だったパーラー・コサイの海老フライだった。

工業都市でありながら天然の漁港を持つ室蘭は

実は新鮮な海産物の宝庫、鮮度、魚種の豊富さが自慢。

銀色のお皿に盛られたパーラー・コサイの海老フライは

今みたいな冷凍の輸入物の大海老とは違って、

少し小ぶりな獲れたての海老を惜しげなくたっぷり揚げたものだった。

あ、今日は7匹も載ってる!

なんて、銀色のお皿の海老フライの数を数えながら、

やはり、ガラスの器から、不器用ながら慎重に、

さらさらのウスターソースを揚げたての海老フライにかけたっけ。

ほんの甘く、酸っぱく、香りが良くて、ほのかに辛い。

昭和のあの頃、海老フライといえば、ウスターソースだった。

まだタルタルも中濃ソースもとんかつソースも知らなかった子供にとって、

ウスターソースの味は、「舶来」であり、「大人」のそれだった。。

トマトソースだのデミグラスソースだの熟成特濃ソースだの

さまざまな新味ソースの台頭とともに、

いつしか家庭の冷蔵庫からウスターソースは姿を消していった。

我が家もウスターソースは、常備していない。

ごめんね、ウスターソース、忘れていてごめんね。

こんなに美味しくて、素材を生かして、そして舶来の味、だったのに。

ウスターソースは元々イギリスのウスターシャー市で生まれた調味料。

ある主婦が余った野菜や果物の切れ端を有効利用しようと

香辛料を振りかけて塩や酢とともに貯蔵したところ、長い時間をかけて熟成、

肉や魚、野菜にも合う液体ソースが誕生した、らしい。

日本に入ってきたのは明治時代で、当時は「洋式醤油」と呼ばれていたとか。

元祖ウスターソースはアンチョビやタマリンドが入っていましたが、

日本人好みに合わせてアンチョビを昆布に換えるなどし、

馴染みのある醤油に似せ、果物を使って濃い焦げ茶色に仕上げた

英国生まれ日本育ちのウースターソースに進化したのだそうです。

外国文化を輸入して独自のものに昇華する。

アンパンやカツ丼の誕生を同じ発想から生まれたのですね。

そんな歴史を重ねて生まれた洋式醤油=ウスターソース、

子供の頃慣れ親しんだはずなのに、今はさっぱり、

昭和を知る大人ですらそうなのですから、

ウスターソースの存在すら知らない子どもも少なくないらしい。

老舗の洋食屋さんの食卓で

久しぶりに邂逅した昭和のソース。

このままでは家庭から消える絶滅危惧調味料になってしまうかも。

次の時代に引き継いでいきたい大切な味がある。

昭和のソースよ、

永遠に♪

(写真は)

熱々海老フライ、

食べるのにに夢中で、

肝心のウスターソース、

写っていませんでした(涙)

またまたごめんねぇ~。