林さんのお饅頭
昔々
師を慕って
やってきたお弟子さんが
作って売り出し大評判
林さんのお饅頭
しとしと雨の春分の翌朝。
札幌は和やかな青空に恵まれました。
道路わきのはだれ雪も日に日に面積が小さくなり、
ちゃんと、春は、近づいてきています。
そんな春を待つある日のおやつは
泣く子も黙る(笑)日本三大饅頭のひとつ。
饅頭界の正統派、塩瀬総本家の「塩瀬饅頭」であります。
夫からゲットしたホワイトデーの戦利品。
小ぶりで端整な佇まいの薯蕷饅頭。
大和芋の皮で極上のこしあんを包んだ上品な味わいは
さすが「日本三大饅頭」らしい風格が漂います。
「やっぱ美味しい、しおぜのお饅頭」とうっとりする私に夫が一言、
「あれ?しおせ、じゃない?」
へ?うそ、ず~っと「しおぜ」だと思っていた。
あわてて箱の栞や塩瀬総本家のHPをチェックする。
あ・・・URLアドレスは・・・「shiose」となっている。
オンラインショップの商品名は「志ほせ饅頭」だった。
自称北海道こしあん党党首としたことが、なんとお恥ずかしい(笑)。
思いこみとはコワいものであります。
では、あらためて「塩瀬饅頭(しおせまんじゅう)」の由来を
老舗のHPにて今一度確認しておきましょう。
え~と、まず「塩瀬」の歴史は今から670年ほど前、
貞和5年(1349年)、宋で修業を終えた龍山徳見禅師の帰国に際し、
お弟子さんだった林浄因が師と別れ難く来朝したことが始まり。
で、奈良で暮らし始めたこの林さんがアイデアマンだったのですねぇ。
中国で肉を詰めて食べる「饅頭(マントゥ)」にヒントを得て、
肉食が許されない僧侶のために小豆を煮詰め、甘葛の甘みと塩味を加えて
餡を作り、皮に包んで蒸し上げたお饅頭を売り出したところ、
寺院に集う上流階級の間で大評判となったのです。
当時の日本の甘味と言えばには干し柿や栗の焼いたもの、
お汁粉の原型みたいなものしかなかったところに
林さんが売り出したほかほかの甘みのあるお饅頭は大ヒット。
セレブの間でブームとなり、その噂は宮中にまで及びます。
林さんのお饅頭は後村上天皇に献上され、
大いにお気に召した天皇から宮女を賜り、お嫁さんまでゲット。
大変な栄誉を受けた林さんは結婚の際に紅白饅頭を作って諸方に配ったそうで、
この言い伝えが祝い事に紅白饅頭を配る現在の習慣につながっている、らしい。
それから幾代か経て、商いの場は京都に移りますが、
応仁の乱の際に戦乱を避けて頼った三河の豪族塩瀬家にちなんで
姓を「塩瀬」に改め、再び京都へ戻り、美味しい饅頭作りにいそしみ、
8代室町将軍足利義政からは「日本第一番本饅頭所林氏塩瀬」の看板を、
時の帝、後土御門天皇からは「五七の桐」の御紋を拝領します。
戦国時代になっても塩瀬のお饅頭は
織田信長、明智光秀、豊臣秀頼、徳川家康に愛され、
関ヶ原の戦いの後、江戸開府とともに塩瀬の一族が江戸に移り、
明治初年からは宮内省御用を勤め、現在に至る、というわけ。
凄いな、塩瀬饅頭、そのうち「麒麟がくる」に登場するかも?
昔々、中国から師を慕って日本へやってきた林さんの
類まれな市場調査力と発想力、行動力、営業力が
今日の塩瀬饅頭(しおせまんじゅう)の礎となったのですね。
つまり、海を越えた人の往来が美味しい饅頭の誕生につながっているわけで、
自由な渡航がままならない今の世界状況が、本当に、悲しい。
感染防止のためには致し方ないと思いますが、
人と人との触れ合い、結びつき、往来を分断するウイルスは、
本当に厄介だ。本当に意地悪だ。性格が悪すぎる。
ね?林さん、当時、渡航中止命令なんて出てたら、
日本に美味しいお饅頭は生まれていなかったかもしれない。
林さんのお饅頭を、しみじみ味わう。
人々が自由に行き交える日を待ちながら、
今は、ひたすら手を洗う。
(写真は)
上品な正統派饅頭
塩瀬総本家の「志ほせ饅頭」
林さんのお饅頭

