台南邯鄲之夢

栄枯盛衰

幾つもの時代を経て

静かにまどろむ

南国の午後。

台南邯鄲之夢。

2019秋の台湾食い倒れ旅2日目は

台風17号による雨の台北を逃れて台湾の古都台南へ日帰り旅。

台湾の新幹線「台湾高速鐡路(高鐵)」に乗って北回帰線を超えて、

1時間45分ほどで南国の太陽が眩しい熱帯の古都台湾へやってきました。

月台(プラットホーム)に降りると真夏の気温がお出迎え、

良かったぁ~、ノースリーブワンピの出番だわぁ♪

うふふ、秋の札幌から持ってきた甲斐がありました。

雨の台北のホテルで朝ごはん食べながら急きょ予定変更で台南行きを決め、

午前10時21分発の高鐵に乗ってお昼前には熱帯の台南へ到着、

「そうだ、京都へ行こう」的な思いつきで日帰り旅が可能なのです。

台湾でいちばん早く開けた町で17世紀の鄭成功の時代には首都として発展、

古跡、旧跡、寺廟が数多く残り「台湾の京都」とも呼ばれる台南、

南国らしいゆったりした雰囲気とノスタルジックな情緒漂う街並みと

台南ならではの絶品小吃を時間と胃袋の許す限り堪能いたしましょう♪

まずは高鐵台南站(駅)から黄色いタクシーに乗って市街中心部へ。

日本の新幹線同様、郊外にある高鐵の台南駅から高速も使って15分ほど、

台南観光のハイライト、台南のシンボルである「赤崁楼」を目指します。

高層ビルが林立する台北とは趣が異なる古都らしい街並みを走るうちに

威風堂々とした時代を感じさせる城壁が見えてきました。

城壁の入り口ゲートでは台湾版狛犬がお出迎え。

料金を払ってチケットをもらい、中へ入ります。

おおお~、美しい・・・!

台南の抜けるように青い空に赤煉瓦のお城が実のよく映える。

これが「赤崁楼」中国語で「チィカンロウ」台湾語で「チァカムラウ」。

始まりは1653年台湾に攻めてきたオランダ軍が築いたプロブデンシャ城で

「紅毛城」とも呼ばれていましたが、1661年に鄭成功がオランダ軍を撃退、

その後は「承天府」と名を改め、中央行政機関としての役割を果たしました。

が、それもつかのま、鄭成功の死後は承天府は廃止、火薬や武器の倉庫となり、

さらに清朝時代に入ると反乱や地震、台風などの被害に遭って

「赤崁楼」の城部分は全壊してしまいます。

今、目の前に建っているのは、残された土台の上に、

清朝時代に「海神廟」「文昌廟」として清朝時代に再建されたもので

中国の楼閣建築の様式を取り入れた華麗な造りに目を奪われます。

現在は建物の中はこうした「赤崁楼」の激動を歴史を物語る展示室となっていて、

日本統治時代に「赤崁楼」の再建、修復を行った当時の台南市長、

羽鳥又男の銅像も置かれていました。

楼閣へと昇る木の階段は真ん中が凹んでいて、

このお城の歴史の深さを静かに物語っているようです。

幾つもの時代、幾多の人々が昇った階段を踏みしめて楼閣へ。

台南の青空と清代の赤煉瓦の屋根のコントラストの美しいこと。

おっと、金の鯱ならぬ、真っ赤な鯉が屋根をしっかり守っている。

長寿と子宝を表すバナナの葉とウサギの装飾も南国らしくて珍しい。

激動の清朝時代ののち、日本統治時代を迎えますが、

そのころになると「赤崁楼」は陸軍病院としての役割を果たすように。

そして終戦、戦後、現代はたくさんの石碑や文化財を収集する歴史観として

たくさんのお客さんたちを静かに迎える場所となっているのでした。

楼閣から眺める緑あふれる敷地内はのどかな時間が流れていました。

ふたたびギシギシ、歴史の思いを感じさせる木の階段を降りて

心地よい南国の風が吹き抜ける中庭へ。

観光客の姿もぴたりと消え、人っ子一人いない屋根の下、

初老の男性が「赤崁楼」の柱に半身を預け、お昼寝の真っ最中。

そこだけ、時間が止まったような風景は、

まさに「邯鄲の夢」。

栄枯盛衰の夢を50年分見て目を覚ましたら、

頼んだ高粱かゆもまだ炊けてない一瞬のはかない時間だったいう故事。

邯鄲・・・夢のごとし・・・か。

オランダ人が攻めてきて、英雄が撃退したものの、死後は清朝に支配され、

やがて日本統治時代、戦争の時代、国民党がやってきて、現代へと。

「赤崁楼」が見た夢。

その屋根の下でまどろむ男性。

どんな邯鄲の夢を見ているだろうか。

台南邯鄲之夢・・・か。

しばし、足を止める、旅人だった。

(写真は)

台南のシンボル

「赤崁楼」の中庭でまどろむ人。

邯鄲の夢の風景。