剥皮寮物語
福?
北?
剥?
不思議な名前と
台北剥皮寮物語。
2019秋の台湾食い倒れ旅の3日目はお天気も回復。
薄曇りの台北街歩きとプチ郊外トリップを楽しみます。
まずは萬華にある定宿ホテルから歩いて3分の神様のデパート、
台北最古の名刹「龍山寺」で恒例の朝のお詣りをすませ、
門前近くの薬草ストリート「青草卷」を眺めながら、
萬華の歴史を今に伝える歴史保存地区「剥皮寮」へ。
あれ・・・?タイムスリップしちゃった・・・?
年月を重ねた赤煉瓦、台湾独特の美しいアーケード「亭子脚」、
かつて萬華が「艋舺(モンガ)」と呼ばれた時代から清代、
そして日本統治時代にかけての街並みが目の前に現れました。
ここが「剥皮寮(ポーピーリャオ)」です。
台北市萬華区の康定路、広州街、昆明街に囲まれたこの一角は
百年の歴史を誇る老松小学校に隣接していたため、
日本統治時代の都市計画で学校用地に指定されたことで開発が抑制され、
昔ながらの街路と建物がそっくり残された奇跡のエアポケット。
1988年から台北市政府が土地の取得や補償作業を進め、
2003年に修復再利用工事が着工、歴史的街並みとしての
画期的な永続モデルとして内外の注目を集めています。
さらに特筆すべきはオープンに開かれた歴史的保存地区ということ。
赤煉瓦の美しい街並みのどこにもチケット売り場などありません。
台湾映画の傑作「モンガに散る」のロケに使われた街路も
貿易商社「永興亭」や日本統治時代の宿「日祥旅社」などが並ぶ街並みも
街区の建物を利用した「台北市郷土教育センター」もすべて無料。
誰でも気軽に訪れて素晴らしい歴史遺産に触れられるなんて、超素敵。
清代から商業が盛んだった剥皮寮。
雨や風除けのために店舗の1階正面を引っ込めた
伝統的な台湾式アーケード「亭子脚(騎楼)」や
赤煉瓦やモルタル、タイルなど多様な建材が取り合わされ、
時代の変遷を物語る街路のファサードなどなど
どこを切り取っても超インスタ映えする街並みは
地元の若者のウェデイングフォトスポットとしても人気らしい。
「剥皮寮」のアカデミックな発信基地「台北市郷土教育センター」も
年末年始の台湾旅の時は休館日でしたが、今日は開いてます。
1階2階の展示室では「剥皮寮」の歴史、台湾の伝統教育、
日本統治時代の近代教育制度や台湾医療の発展などが紹介されていて、
中国語はわかりませんが漢字からおおよその意味を推理(笑)。
特に興味深かったのが「剥皮寮物語」
この一帯は石炭の集散地として発展したことから
かつては「土炭市」と呼ばれていたそうですが。
「剥皮寮」という不思議な名前の由来は諸説あるらしい。
清代末までは「福皮寮街」日本統治時代は「北皮寮街」と呼ばれ、
戦後は「広州街何号」とか「廣定路173卷」と呼ばれていたそうです。
1953年に「艋舺街名考源」という書物が「剥皮寮」と呼んでから
この名前を用いる人が多くなり、新聞、テレビのニュースでも
広く使用されるようになり「剥皮寮」の名前が一般化したようです。
あれ?あれれ?ガイドブックなどには
淡水河を船で運ばれてきた木材の皮の剥いたことから「剥皮寮」と
呼ばれるようになった・・・とか書いてあったような気がするが・・・?
福?北?剥?どうやら閩南語、日本語の発音が近いことから
それぞれの名前がつけられたらしいのですが、
つまりは・・・「剥皮寮」の由来には、諸説あるってことですな。
ふ~ん、名前ひとつにも台湾の歴史が積み重なっているのねぇ。
「台北市郷土教育センター」の階段付近には強化ガラスの向こうに
清代の修復前の煉瓦壁がそのまま保存されていました。
まったく手を加えられていない一部が崩れかけた赤煉瓦の壁を
現代の鉄筋が力強く支え、新旧が融合した美しい建築物となっています。
台湾が生きてきた時間をそのまま物語る「剥皮寮」。
不思議な名前の奇跡のエアポケット。
インスタ写真を撮って
通り過ぎるだけはもったいない。
「剥皮寮物語」
素敵な時間が過ごせますよ。
(写真は)
「剥皮寮」の一画にある
「台北市郷土教育センター」内。
修復前の清代の煉瓦壁が保存されています。
当時の街のざわめきが聞こえてきそうだ。



