みかんと台所
古今東西
今も昔も
日々の暮らしの
真ん中にある
大切な場所。
朝いちばん、コーヒーメーカーにスイッチを入れ、
冷蔵庫を開けて、フルーツとヨーグルトを出して、
いつもの一日を始める我が家のキッチン。
狭いながらも我が家の暮らしの大切な中枢でありますが、
そんな「台所は文化や風土を映す場所」でもある。
今朝の天声人語でユニークな特別展が紹介されていました。
それが東京で開催中の特別展「台所見聞録」。
住まいに欠かせない台所は生きるための空間。
食物を扱うためにその土地の気候風土や文化とも密接に関り、
台所を見れば、暮らし、文化、風土、時代がよくわかる、のだそうで
たとえば世界の北の国々と南の国々では台所にも違いがあるという。
寒い北の国々は鍋を吊るかまどが台所の中心。
家全体を暖めてもくれ、水を使うことは少ないので流しは脇役。
対して南の国の台所の主役は流し。暑さで食材がいたみやすいため、
水で洗う頻度が多いためで、鍋は吊るさず置く文化なのだとか。
う~ん、確かに、日本でも雪国はかまど文化だし、沖縄の離島などでは
今でも水をじゃぶじゃぶ流せる半屋外な台所を見たことがあるなぁ。
「台所見聞録」の公式HPの案内文によれば
「北緯40度を境に南北で「火」と「水」の使い方に特徴がある」そうで、
こうした台所の違いは気候風土、文化を如実に表しているのだそうだ。
ふ~む、面白い。実に興味深い。
さらに日本の台所は明治・大正・昭和にかけて激変したらしい。
江戸から明治の始めまでの台所は「つくばい」方式。
まな板を床に置いて腰を落とし膝をついて包丁を動かした、のだそうだ。
うわ・・・これは体がキツイよ・・・想像しただけで膝と腰が痛くなる。
食器も床に直置き、非効率だし、衛生的にもいかがなものかと、
明治30年代に入ってようやく
今のような立って調理する方式が広まっていったらしい。
明るく、換気が良く、掃除しやすい現代の快適なキッチン。
そんな日本の台所革命を支えた三つの理念が
「立働」「衛生」「利便」だったそうです。
床にはいつくばって膝や腰の痛みに耐えながら、
家族のために一生懸命で不便な台所で料理をしてくれた
昔の女性たちに心から感謝と敬意を捧げたい気持ちになりました。
天声人語氏はこの特別展をたどりつつ、
懐かしい実家の台所に思いをはせていましたが、
私もある台所の風景を思い出しました。
昭和の昔、今はもう建て替わってしまった室蘭の実家の台所。
窓の下に流しとガス台が並んで配置され、暗くはなかったけれど、
お鍋やお皿を置く調理台もなく、やたらと空間だけが広かった。
母が毎日きれいに掃除していた板張りの床が
いつもきれいな茶色に光っていた記憶があります。
あれは大晦日の夕餉どき。母は台所で年越し料理に精を出していた。
奮発して、当時、子供たちの大好物だった特大の海老フライを揚げ、
洋皿にキャベツの千切りと横半分に切ったみかんを添えて盛り付けている。
レモンもライムも身近じゃなかった時代に
心尽くしの飾りつけをしてくれていた。
せっせせっせと家族の人数分、ご馳走を準備する母。
年に一度の年越しだから料理の品数もいっぱいある。
しかし、お皿を置いておく調理台がない。だからだろう、
空間だけはやたらに広い昭和の台所の床に膝をつき、
新聞紙を敷き詰めた上に海老フライの洋皿をそっと並べていた。
板張りの床に膝をつく母と
白い洋皿の海老フライと輪切りのみかんの色。
その一場面がなぜか今でもくっきり脳裏に刻まれている。
決して使いやすくない台所とレモンの代用のみかん。
アイランドキッチンも、何でも揃うスーパーもなかったけれど、
昭和の母は精一杯家族のために働いてくれていたんだな。
みかんと台所。
今も記憶に残る
「心尽くし」の風景。
(写真は)
週末ごはんの一品
「西紅柿炒蛋」
(トマトと卵の炒め物)
ちょっと狭いけれど
大切な暮らしの基地。
我が家の台所で作りました♪

