よく似た人
街角で
電車の中で
ご近所のスーパーで
ふと見かける。
よく似た人。
ある・・・あるよねぇ。
こういう瞬間、こういう気持ち。
朝刊の生活面に載っていた読者エッセイを読みながら
思わず、しみじみと、うなづいてしまいました。
タイトルは「春、懐かしい人」。
朝の通勤ラッシュが過ぎた車内でついうとうと眠りこみ、
目的の駅が近づき目が覚めてふと隣の席をみると
4年前に78歳で亡くなった父親にそっくりな人が座っていたという内容。
その人は足の組み方から履いている靴までも似ていて
投稿者の40代の女性は思わず「お父さん、どうしたの?」と
声をかけたくなった、と綴っていました。
なんか・・・よくわかる。
ありますよね・・・そういう瞬間。
今は亡き懐かしい人にそっくりな姿に出会うことって、あるものです。
昼間のご近所スーパーで白髪の小柄なお年寄りがちょっと背中を丸めて
買ったものをレジ袋に不器用に詰めようとしている後ろ姿に
「あれ・・・?おじいちゃん?」とハッとしたこと、とかね。
おじいちゃん=9年前に亡くなった父のこと。
孫である私の息子が生まれてからは「おじいちゃん」と呼んでいた父は
晩年、病気をしたり、怪我をしたりと不自由な生活を送りましたが、
元気なころは朝刊を小脇に挟んで近所の自家焙煎の珈琲店に通い、
モーニングコーヒーをのんびり楽しだり、ご近所のスーパーやコンビニで
かりんとうやきなこねじりなどのおやつを買いこんだりしていたものです。
甘党だったからなぁ、母に食べ過ぎをいさめられても、
こっそり買ってたんだよなぁ。
遠目にそんな父を発見した当時の私は
なぜだか、声がかけられなかった。
そりゃあ、健康には良くないかもしれないけれど、
これまでいっぱい働いていっぱい生きてきたんだから
多少の甘いお菓子くらい自由に好きに買ってもいいじゃないという気持ちと、
・・・いやいや・・・それだけじゃない・・・。
多分、正直言うと、話が続かない「間」を避けたんだ。
平成のパパと違って、大正15年生まれの父は家事も育児も妻任せ、
もともと口が達者ではない性格もあって、家庭でペラペラ喋ることもなく、
まあ、別段深い理由はないけれど、父と娘のコミュニケーションは
そう密なものといえなかった。つまり、有体に言えば、
父と1対1で面と向かっても、会話が続かないのである(笑)。
孫である息子がいれば、
「おじいちゃん」との会話が盛り上がるのですが、
そうでない単体の「父」と「娘」となると、話が続かない。
仮にスーパーで見かけた父に声をかけたとしても
「買い物?」「あ~、うん、お前は?」「ん?仕事帰り」
「そうか、ま、体、気をつけてな」「あ、うん、おじいちゃんもね、またね」。
多分、10秒で終わってたはずだ(笑)。
また春が来た。
今年も家の前の桜並木が綺麗に咲いた。
もし、今、懐かしい人に会えたなら、
もっともっとたくさん話したいことがある。聞きたいことがある。
10代で出征した戦争のこと。抑留されていたときのこと。
本当は進学してもっと勉強したかったんじゃなかったかってこと。
長男だからあきらめた夢や目標があったんだろうということ。
人が老いていくということ。
もっとたくさん話せばよかった。
街角でよく似た人を見るたびに
きっと、ずっと、そう思うんだろう。
懐かしい亡き人は
いつも心の中に住んでいる。
今年も桜が咲いたよ。
お父さん。
(写真は)
三石町名物の春限定羊羹
「さくら咲く」。
桜風味の白花豆羊羹と小豆羊羹が二層に。
控えめな甘さと程よい塩気がアクセント。
羊羹には目がなかったよね、お父さん♪

