金鯱波瀾万丈

天下の名古屋城。

燦然と輝く金鯱の

知られざる

ドラマティックストーリー。

ああ波瀾万丈魚生。

名古屋ビジネス旅の最終日、夕方の飛行機までの半日街歩き、

朝は老舗「コンパル大須本店」で名古屋喫茶店文化を堪能後、

尾張名古屋は城で持つ、地下鉄名城線に乗って名古屋城へ。

400年の時を超えて蘇った本丸御殿の絢爛豪華な美しさに感動、

さあ、いよいよ名古屋城天守閣とご対面です。

本丸御殿を出て初冬の青空を仰ぐ。

いよっ!日本一!

威風堂々とはこのことねぇ。

真っ青な初冬の晴れた空に美しい名古屋城がそびえたつ。

慶長15年(1610)関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康の命によって築城、

御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えた名城であります。

お城が珍しい北海道人はもう圧倒的に感動、またもひれ伏したくなる(笑)。

日本のお城は本当に美しい。

名古屋城は昭和5年、城郭建築における初めての国宝に指定されましたが、

昭和20年の名古屋空襲で本丸のほとんどを焼失。

その後名古屋のシンボルとして昭和34年に天守閣が再建されました。

外観は昭和実測図に基づき正確に再現され、

内部は焼失を免れた障壁画などを展示する博物館になっていましたが、

耐震性の問題などから天守閣が現在閉館中。

外からじっくり美しい威容を鑑賞します。

再建から半世紀、設備の老朽化や耐震性などの課題を克服し、

特別史跡としての本質的価値の理解を促進するため、

「金城温古録」や「昭和実測図」「ガラス乾板写真」等の資料に基づき、

現在、天守閣の木造復元が進められています。

相当なコストがかかる大変なプロジェクトだと思われますが、

築城当時の姿が蘇るかと思うとちょっと興奮しますね。

お城も劇的な歴史をたどっていますが、

城頭に燦然と輝く金鯱もまたドラマティックな物語がありました。

空想上の生き物で水を呼ぶと言われることから日除けのまじないとされる鯱。

名古屋城創建当時の金鯱には慶長小判1940枚分の金が貼られたそうで、

徳川家の権力、財力を誇る象徴的アイコンと言えますが、

実は将来の財政難に備えて作られたという側面もありました。

実際、1726年、1730年、1827年、1846年と

何度もの財政危機による改鋳のため、

金は薄く小さく当初の輝きも失っていったそうです。

さらに明治に入り、名古屋城取り壊し、金鯱も鋳潰が決定しますが、

当時のドイツ公使の進言で取り壊しが停止され、命を救われます。

が、その後何度も盗難に遭遇、金の鱗をペンチで切り取られたり、

1945年の名古屋空襲で戦火に焼かれ無残な姿になってしまいます。

そして戦後の再建で今の輝きを持ち直し、勇壮な姿が復活。

「金の鯱 波瀾万丈の魚生!!」

というコラム記事が地元のフリーペーパーに載っていました。

いやあ、知らなかった~、金鯱が財政難への備えだったなんて。

金ピカ絢爛豪華の名古屋文化はただの見栄っ張りなんかじゃなくて

将来を見据えた堅実さの現れだったのですねぇ。

大切な預金(?)をお城のてっぺんに飾っておく発想。

まさにあっぱれ!

名古屋城の金鯱に

貯金の大切さを学ぶ(笑)。

使う時は使うけど、

将来への備えは忘れずに。

ははぁ~、心します。

(写真は)

天下の名古屋城。

初冬の日差しに輝く金鯱。

あっぱれ、あっぱれ。