外郎物語

外郎売りが

売っていたのは

銀の小粒のお薬。

甘い外郎は

どこから生まれた?

名古屋ビジネス旅最終日、帰りの飛行機までの半日街歩き、

正味6時間ほどでも、やればできる(笑)。

朝はコンパル大須本店で名古屋喫茶店文化を堪能し、

天下の名古屋城、念願の徳川美術館&と徳川園を見学、鑑賞後、

再び大須に戻って伝説の志ん朝独演会で知られる大須演芸場に寄り、

日本三大観音のひとつ大須観音でお参り、芸どころ名古屋の礎を築いた

7代藩主徳川宗春ゆかりのからくり人形も堪能し、

名古屋土産も首尾よくゲット。

なんてったって名古屋はあんこ文化の聖地。

趣のある佇まいの和菓子屋さんが市内のあちこちに存在し、

老舗や名匠と呼ばれる職人さんが多い技術の高いエリアです。

名古屋で和菓子文化が発展した理由は城下町だったから。

武家やお城に出入りする裕福な商人も多く、献上菓子が作られ、

江戸時代からは茶道が武士の嗜みとされて発展するなど、

お茶菓子の需要が高く、職人たちは切磋琢磨して技術の向上に努め、

常に身近に和菓子、あんこがある暮らしが根付いていたからであります。

ああ、あんこ好きとしては、名古屋に生まれたかった(笑)。

濃尾平野の銘菓「餡麩三喜羅」に続く名古屋土産第2弾は

地元の人から支持を得ている「大須ういろ」。

我が家用にゲットたのが昔ながらの製法で作られているという

秋限定の「手づくり 栗小倉ないろ」。

小型の羊羹のよう棹菓子で見た目よりずっしり重い。

切り分けてみると・・・おおお・・・美しい三層構造。

一番上が小豆の粒がそのまま入っている小倉ういろ、

真ん中の白ういろには大ぶりの栗がごろっと入り、

一番下が大須ういろならではのこしあん入りのないろ。

う~ん、あんこ色のグラデーションが、名古屋らしい。

では実食。

ぱくり・・・う~ん・・・もっちりした食感がたまりません。

職人さんが昔ながらの手捏ね製法で蒸しあげているため、

通常のういろよりはもっちり感が強いらしい。

しかしもっちり弾力感のあとにす~っと口の中で心地よく溶けていく。

お城のお殿様も召し上がった当時のういろは、こんなだったのかしら。

絢爛豪華な本丸御殿でのお茶会などを想像するとさらに味わい深い。

ういろは中国から伝わったお菓子と言われていますが、

甘党バイブル「事典 和菓子の世界」でもう一度調べてみると、

ちょっと意外なういろ、外郎物語が詳しく書かれていました。

そもそも「外郎」は薬の名前。

そうだ、あの歌舞伎で有名な「外郎売り」が売っていたのは薬だった。

早口ことばのような長広舌の節回しは発声練習にも使われています。

薬の外郎を世に広めたのが大年宗奇(たいねんそうき)という人物で

この宗奇の父が中国元朝で「礼部員外郎」という官職にあった陳宗敬。

元朝滅亡後に帰化、息子宗奇は室町幕府三代将軍足利義政の招きで京に移り、

中国伝来の「透頂香」なる薬を売り出し、大評判になるのです

この薬の別名が父の官職名からとった「外郎」で

その製法は今も受け継がれ、遠方から買い求めに来る人も多いとか。

で、甘いお菓子の外郎の起源はといえば、

薬の外郎を飲んだ後の口直しとして作られたとか、

黒砂糖を用いて作った外郎の色合いが薬の外郎に似ていたとか諸説あり、

どうやら中国伝来の薬とのご縁で生まれたお菓子ってことらしい。

今の外郎は銀の小粒の薬ですが、当時は黒っぽくて形も違っていたのかもね。

まあ優しい甘さのお菓子は病人にも食べやすく消化もよさそうだし、

お薬同様、小田原、名古屋、山口、三重など

各地で名物になっていったそうです。

外郎、ういろ、ないろ。

シンプルで素朴な和菓子は

長く愛されるロングセラー。

美味しくて体に良さげな外郎物語。

(写真は)

大須ういろの秋限定。

「手づくり 栗小倉ないろ」。

もっちり&あっさり。

優しい甘さに癒される。