海までの一歩
濃密な緑の渓谷。
色鮮やかな南国の鳥たち。
のどかなタロイモ畑。
美しい三日月型の湾。
海までの一歩。
すぐそこにあるのに。
近づけば触れられるのに。
海までの一歩を踏み出すまでに
10年の時間が必要だった。
私が彼女だったとしてもそうだったかも。
なんか、わかるよ。サチさん。
映画「ハナレイベイ」を観てきました。
村上春樹の短編小説を気鋭の松永大司監督が映画化した作品。
文庫本にして42頁の物語がカウアイ島の美しい自然、現地の人々、
内面を映し出す俳優たちのリアルな演技によって
一本のドキュメンタリーのような長編映画になっていました。
深い余韻がいつまでもいつまでも続いて、
館内が明るくなってもなかなか席を立てませんでした。
だって・・・サチさんの気持ち・・・わかるんだもの。
シングルマザーのサチはハワイのカウアイ島のハナレイベイで
一人息子のタカシをサーフィン中に大きなサメに襲われるという
不慮の事故で失います。
それから10年間、彼女は彼が命を落としたハナレイ・ベイへ向かい、
海辺近くの大きな木の下で読書をして過ごすのでした。
毎年、同じ場所に、チェアを置いて、10年間。
すぐそこに美しくきらめくハナレイベイの海があるのに、
彼女は決して海へは近づかない。
ある日、サチは二人の若い日本人サーファーと出会い、
彼らの姿に19歳で亡くなった息子の面影を重ねていくのですが、
二人からある話を耳にするのです。
「赤いサーフボードを持った片脚の日本人サーファーを何度も見た」と。
サチの凍っていた10年間が、溶けだします。
もう一度、息子に会いたい。
木陰のチェアから一歩を踏み出し、どこまでもどこまでも
強い日差しに照り付けられ、砂に足をとられながら、
来る日も来る日もハナレイベイの浜辺を歩き続けるのした。
・・・そして・・・
と、これ以上はネタバレになるので差し控えますが、
とにかくね・・・泣いた。
お涙頂戴の台詞も演技も演出も一切ありません。
映画は美しいハナレイの自然とサチの内面を追い続けるだけ。
プロの俳優ではなく現地の人をその職業のまま出演していることもあって、
映画なんだけれど、いつもまにか、サチさんの現実の中に入りこんでいました。
時折フラッシュバックのように自分を裏切って死んだ夫との過去や、
愛しているのにどこかギクシャクしていた息子との関わりがはさみこまれ、
悲しむことも涙も自分の固い殻の中に封印していたサチさんが
もう他人に思えなくなっていた。
大人のようで、まだ大人じゃなくて。
まだ自分一人で食べてもいけないくせに
母親の庇護からは距離を置きたい年齢で、
せっかく作ったサンドイッチも食べずに出かけたり、
お気に入りのTシャツは洗濯機で洗うなとめんどくさいこと言ったり、
身体はたくましくなるのに笑顔は子供の頃と変わっていなくて、
短パンから野放図にのびやかにはみ出たふくらはぎがまぶしくて。
映画の中のタカシの姿やアンバランスな言動は
息子が19歳だった頃のそれとぴったり重なっていって、
もし、その一人息子を失ったとしたら、
私の時間も、きっと止まってしまうと思った。
息子が命を落とした場所に、毎年通うと思った。
時間が止まっている自覚もなく、そこで過ごすと思った。
サチさん。
海までの一歩を踏み出すのに、10年かかったね。
悲しむことを自分に許すまで、10年かかったんだよね。
ハナレイベイに通っても彼が本当に命を落とした海へは近づけなかった。
大きな木の葉陰とその先の波打ち際との間には、
自分を許せない自分が築いた結界があったんだよね。
死んだ息子と、生きている(らしい)自分を隔てる何か。
どうして愛してること、ちゃんと伝えられなかったんだろうって、
大切な人を失った人々は、誰もが、自分を責め続けてしまうんだよね。
でもね。
ハナレイベイで、あなたは、一歩を踏み出した。
ラストシーンは、今年観た映画のベストワンだと思う。
海までの一歩。
10年かかることも、ある。
(写真は)
「ハナレイベイ」を観た後に
ハワイの写真集を眺めるのもいいかも。
札幌の新知的スポット。
創世スクエアの札幌市図書・情報館。
カフェの飲み物も持ち込みOK。
読書の秋、だよ。



