読書権
書を捨てよ、
街へ出よう。
刺激的な評論集から半世紀。
今の若者は
既に書を手にしてない?
「大学生5割超 読書時間ゼロ」。
朝刊記事の見出しに、目が覚めました。
まじ、ですか?
今どきの若者が本を読まなくなっているとは
薄々感じてはいましたが・・・そんなに?
大学生の2人に1人以上が読書時間ゼロ・・・。
全国大学生協連の調査によると、
大学生の53%が1日の読書時間が「ゼロ」と回答したそうです。
アルバイトをする学生では54.5%、していない学生は49.4%となり、
バイトに忙しくて本を開く時間のないということなのでしょうか。
ちなみに1日の読書時間の平均は23.6分で、
読書時間ゼロを除いた「読む学生」の平均読書時間は51.1分。
学生の読書時間の二極化が明らかになりました。
読む学生は読むけれど、
読まない学生はまったく読まない・・・か。
こんな時代が来るとはかの寺山修司も予想していなかったかもしれません。
「書を捨てよ、町へ出よう」という評論集が世に出たのは1967年。
書物の森から抜け出し生の実感を求めて体験しようという鮮烈な内容。
その後、寺山修司は演劇実験室「天井桟敷」を旗揚げ、
70年代のアングラ演劇ブームを牽引していくわけです。
「書を捨てよ」という刺激的なタイトルは
猛烈な読書家だった寺山自身はもちろんのこと、
当時の学生たちが今よりずっとずっと本を読んでいたからこその逆説。
生きる意味を求めて書物に答えを見つけようともがく若者たちに
本を読むだけじゃなくて、自ら動き、体験せよ、と鼓舞したわけで。
もし寺山修司がご存命だったら、
今の読書時間ゼロの若者たちにどんな言葉をかけただろうか。
しかし、ふと思う。
単純に本を読まない、のではなく、本を読めない、のかもしれない。
景気回復と言われても学生の経済状況は依然として厳しく、
奨学金受給の平均額は増加傾向が続き、
アルバイトをしなければ学業を続けられない学生は少なくありません。
調査によると書籍費の平均額は金額、支出に占める割合が
自宅生が1か月1340円、下宿生が1510円とともに1970年以降最低。
本を買うお金も、本を読む時間も、余裕がないのですね。
だったら図書館で借りればいい、かもしれないけど、
学業とバイトに明け暮れる毎日だとしたら、
図書館に行く時間も作れないわけで。
書を捨てざるを得ない現状があるのかもしません。
本を読むことは、今となってはある意味、贅沢な時間、なのか。
読書好きとしては、なんだか、とっても、切ない。
活字がないと生きていけない昭和世代は
常に読む本がないと落ち着かない体質なもので、
今は大好きな作家桐野夏生の最新刊を読んでいます。
タイトルは「路上のX」。
これがですね・・・読んでいて、辛い。リアルは、辛い。
幸せな日常を断ち切られ、親に捨てられた女子高生たちの物語なのです。
家族の愛情、温かいごはん、気持ちよいお風呂、洗濯された衣服、
健やかに成長していくための一切を大人の都合で奪われ、
ネグレクト、虐待、DV、レイプ、JKビジネス、
若い魂は酷薄な現実によって傷めつけられ、
傷ついた心と体を持て余しながら都会の路上を彷徨う女子高生たち。
綿密な取材をする作家が描き出す現代のリアルに圧倒され、
ページをめくりながら胸がつぶれそうな思いになる。
結末がはたしてどうなるのかわかりませんが、
作品を読んでいる途中でもひとつはっきりしているのは
「路上のX」に登場する女子高生たちが本を読む場面は一切ないということ。
制服と教科書とわずかな衣服を詰めた鞄だけ持って「家」を出る彼女たち、
命綱のスマホは肌身離さないけれど、本を読むお金も時間も発想もない。
かつて若い魂の迷いや悩みに光を与えてくれた本の森は
彼女たちにとってはもはや失われた世界、ロストワールドなのだ。
大人の一人として切実に思う。
未来を作る若者たちに「書を与えよ」と。
安心して本を読める空間、時間、豊富な書物の森を与えよと。
子供たちには生きる権利。本を読む権利があると思う。
本を読むのは贅沢なんかじゃない。
すべての子供に「読書権」を。
(写真は)
春を待つ夜。
上質なチョコをおともに
読みかけの本をページをめくる。
生の実感を確認する時間。
ロイズの「山崎」生チョコ。
芳醇なウイスキーの香りにうっとり。

