オムレツとひまわり
地平線まで広がるひまわり。
丘一面に続く十字架。
ジョバンナの嗚咽。
悲劇の前のオムレツ。
名画の圧倒的な質量よ。
もう、これで何度目でしょう。
BSなどで再放送されると必ず観てしまいます。
1970年のイタリア映画「ひまわり」。
監督は名匠ヴィットリオ・デ・シーカ、
イタリアを代表する名優マルチェロ・マストロヤンニと
かの名女優ソフィア・ローレンの黄金コンビが共演した
映画史に残る不朽の名作を昨夜、久しぶりにまたまた鑑賞。
名作は観るたびに発見がある。
戦争によって引き裂かれた男女の悲劇を描く「ひまわり」。
行方不明の夫アントニオを捜すジョバンナが目にしたのは、
ロシアの草原に広がる一面のひまわり畑。
ヘンリー・マンシーニの哀切な音楽が悲しみをさらに誘います。
初めてこの映画を観たのは10代の初めの頃でしょうか。
幼心に「せつない」ってこういうことなのかと思ったものです。
若い頃は悲恋の要素が強く印象に残りましたが、
昨夜、久しぶりに観て「ひまわり」は、そうか、戦争映画なんだと再認識。
爆撃や銃撃など激しい戦闘シーンはほとんど描かれていませんが、
うなだれるように黄色い花を咲かせるひまわり畑と
丘一面に延々と連なる十字架の列が心の中でオーバーラップ。
何よりも戦争の残酷さ、悲劇性を物語っていました。
ロングショットが語る個々の物語。
ひまわり一本一本が祖国に帰れなかった兵士に見えてくる。
「ひまわり」は質量が凄い。
地平戦まで覆いつくすひまわり畑。
果てることなく続く戦没兵士の十字架。
あたりはばからず大声で悲嘆にくれるジョバンナの激情。
その圧倒的な質量が観客を物語にぐいぐいと引きこんでいくのです。
そして映画の前半、後半の落差もまた凄いのだ。
あれ?「ひまわり」って前半、こんなだった・・・?
今回久しぶりに観て、ちょっと新鮮な驚きがありました。
記憶の中では引き裂かれた悲劇性ばかりが強調されていたのですが、
映画の前半のアントニオとジョバンナ、今見るとはっきり言ってバカップル。
アフリカ戦線を控えた兵士と恋に落ちたナポリ娘は
結婚すれば12日間の休暇が得られるとそそのかし?スピード婚。
出征を逃れようと仮病を装うものの狂言がバレて彼はロシア戦線へ。
まさに、若気の至り満載のいささかコミカルな展開など
すっかり記憶から抜け落ちていたのでした。
しかし、若い恋人たちの愚かさが、健気で愛おしくなる。
誰だってそうだよ。恋に落ちると人はおバカになるもの。
理性より感情が先走り、後で思い返すと
赤面したくなるような振る舞いをしたりするものだ。
戦争さえなければ若い二人の軽率な行動も笑い話で終わったはずなのだ。
そう、戦争さえ、なければ。
あえて蛇足にも思えるような喜劇的な前半が
戦争をはさんで一転、喜劇性が悲劇に暗転するその落差が凄い。
圧倒的な質量と、落差。「ひまわり」が名画たるゆえんかもしれません。
二人の幸せの象徴として、やはり圧倒的質量で登場するのが、オムレツ。
新婚の朝、アントニオは「じいさんも新婚の朝に食べた」と言って、
なんと卵24個を使った巨大オムレツを作るのです。
これまた巨大なフォカッチャを無造作にちぎり、赤ワインをがぶ飲み。
「もう一生卵は見たくない」とフォークを投げ出す二人。
食糧の乏しい戦争中に卵24個のオムレツなんて。
こういう場合を北海道弁で「おだっている」と言いますが、
あの巨大な卵色のオムレツは二人の幸福の象徴。
結末を知っている観客はふと思う。
おだって24個も卵を使わなければ良かったのか。
毎朝一個の卵で我慢すれば良かったのか。
若い二人はいっぺんに幸せを使い切ってしまったというのだろうか。
いや違う。
戦争さえ、なければ。
圧倒的な質量のオムレツとひまわりが無言で語る。
戦争さえ、なければ。
「ひまわり」は心の中の戦争映画の棚に仕舞った。
(写真は)
幸せをカタチにすると
きっと卵型になるような気がする。
オムレツとひまわり。
黄色が描く物語。



