ふたりはともだち
キミが得意なことを
ボクに教えてくれないか。
お互いを認め合い、
高めあった明治の友情。
ふたりは最高のともだち。
「漱石から子規へ 3通の手紙」。
朝刊の見出しに興味をそそられました。
夏目漱石が正岡子規に宛てた直筆書簡3通の実物を
漱石が学んだ二松学舎大学が入手、確認したそうです。
旧制一中(現東大教養学部)の同級生だった二人の友情はよく知られ、
漱石が俳句を学んだ契機となる手紙の文面は全集にも収録されていましたが、
長年未確認だった実物が古書オークションに出品され、同大学が落札。
手紙の写真も紙面に掲載されていました。
1895年(明治28年)5月26日付けの書簡は
当時、尋常中学の英語教師として松山に赴任していた漱石が
神戸で療養中だった子規に宛てて書いたもの。
「小子近頃俳門に入らんと在候御閑暇の節は御高示を仰ぎ度候」。
明治期の漢字混じりの文面をLINE風に読み解けば、
「ボクもね本格的に俳句をやろうと思うんだけどね、
もし良かったら、時間のある時でいいから、
見てもらえないかなぁ~(^^♪」ということになろうか。
病に臥せ意気消沈する才能ある友へ、
キミが得意なことをボクに教えてくれないか。
漱石のこの手紙がきっかけでこの年の夏、
子規は故郷松山へ戻り、漱石の下宿「愚陀仏庵」に居候、
二人は52日間の同居生活を送ることになるのです。
お互いを認め合う二人が自由に意見を戦わせながら
俳句を詠み合う様子が目に浮かぶようです。
二階建ての離れ家だった愚陀仏庵の一階に子規を住まわせ、
本来の下宿人だった漱石は二階に住んだと言われています。
時には二人で道後温泉に出かけたりすることもあったとか。
神経質な一面もあったとされる漱石ですが、なんていい奴だ。
友を深く理解し、友への敬意を忘れず
友が最も元気になれる方法でさりげなく励ました漱石。
「桔梗活けてしばらく仮の書斎かな」
夏から秋にかけて松山に滞在した子規。
漱石との52日間の同居生活の間にこんな句を詠んでいます。
友の下宿でしばし心身を癒されのでしょうね。
静かな秋の情景の向こうに深い友への感謝を感じます。
ふたりは、ともだち。
秋が深まった頃、子規は東京へ戻りますが、
その途中のんびりと関西を旅し、立ち寄った奈良で詠んだのが
あの名句「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」。
そして帰京した1年半後俳誌「ほとゝぎす」を創刊するのです。
俳人正岡子規にとって漱石との52日間が大きな契機になったのですね。
友と過ごしたあの夏の日よ。
ボクにも俳句を教えてよ。
漱石が子規に当てた手紙の実物は
先月、二松学舎大学が開催した「夏目漱石展」で初めて公開され、
今後も公開していく予定なのだそうです。
LINEやメールは削除されたらおしまいだけど、
明治期の友情の手紙は消えてなくならない。
ふたりはともだち。
道後温泉の湯煙のなか、
どんな話に花が咲いたのかぁ。
漱石君と子規君。
(写真は)
いきなり真冬の北海道。
朝日があたる雪景色。
雪が降ると・・・
温泉が恋しくなるなぁ。
湯煙で一句・・・出ないか(笑)。



