その名はカメジロー
大地の思いを
人々の願いを
島の叫びを
言葉にし行動した男。
その名は、カメジロー。
二十四節気の霜降だった昨日、
札幌は霜どころから初雪が降りましたが、
凍えそうな氷雨にも関わらず映画館は満席。
寒くても、雪が降っても、観たい映画があった。
「米軍(アメリカ)が最も恐れた男
その名はカメジロー」。
占領下の沖縄で米軍に挑み続けた民衆のヒーロー、
瀬長亀次郎のドキュメンタリー映画であります。
去年、TBSテレビで放送されたドキュメンタリー番組が
映画化を熱望する声を受けて、追加取材、再編集を行って完成。
監督はNEWS23のキャスターを務めた佐古忠彦氏。
音楽は坂本龍一、語りは大杉連が参加した注目の作品が
21日から札幌でも上映が開始されていたのです。
米軍占領下の沖縄で、圧政に立ち向かい、民衆の先頭に立って、
祖国復帰を叫び続けた瀬長亀次郎は人々の希望でした。
沖縄の人々は最大の賛辞と愛情をこめて彼をこう呼びます。
カメジロー、と。
8月の沖縄での先行上映の時には
会場の桜坂劇場から平和通りまで大行列ができたそうです。
あの坂道にお客さんがびっしり並んだということね~。
補助いすを入れても入りきれない人が多かったとか。
「久しぶりにカメジローに会いに来た」というおばぁ。
「カメジローさんのことをもっと知りたい」という若い人。
今も昔もカメジローは沖縄のヒーローだった。
1907年豊見城村に生まれた瀬長亀次郎は
新聞記者を経てうるま新報(現琉球新報)社長に就任後、
立法議員選挙で最高得票数でトップ当選を果たします。
米軍統治下の沖縄でただ一人弾圧を恐れず声を上げ続ける姿に
人々は熱狂、演説会を開けば何万人が集まりました。
そんなカメジローを恐れた米軍(アメリカ)は
様々な策略を巡らせますが、民衆に支えられた彼は那覇市長、
国会議員と立場を変えながら沖縄のために戦い続けたのです。
貴重な映像や写真のなかのカメジローは
見た目は小柄で愛敬ある笑顔が印象的なフツーの沖縄のおじさんですが、
ひとたび、裸電球ひとつ、ヤカンが載った演台の前に立つと
強い信念、不屈の闘志を力強く、歯切れよく、
わかりやすい島言葉にのせて沖縄の人々を勇気づけるのでした。
「一握りの砂も、一坪の土地も、アメリカのものではない」。
沖縄の人々の尊厳を言語化したヒーロー、
それが、カメジロー。
政治家の言葉の重みをより実感する今日この頃、
この映画を観てしみじみこう思いました。
「今、この時代に、カメジローがいたら」。
特に印象的だったのが復帰直前の1971年の国会論戦の場面。
佐藤栄作首相とカメジローが対峙する貴重な映像です。
「この沖縄の大地は、再び戦場となることを、拒否する、
基地となることを、拒否する」。
逆立つような真っ黒な髪をした小柄なカメジローが
こぶしを握り締め、首相を真っ直ぐ見つめ、こう叫ぶのです。
信念がマグマのように噴き出す言葉。
そして対峙する首相もまたその言葉をまっすぐ受け止めていたように見えた。
いなしたり、かわしたり、誤魔化したり、せせら笑うことなど決してなく、
首相として今言えるギリギリの言葉で応えていたのではないだろうか。
少なくとも、見慣れてしまった空虚な国会論戦とはまったく違っていた。
政治的な立場は違っても、相手の誠意を引きずり出す迫力が
カメジローの言葉にはあったのだ。
占領下の沖縄で
体と心を張って人々のために声を上げ続けた政治家がいた。
政治的立場とかイデオロギーとか、んなこと関係なしに、
ただ一つ言えることがある。
それは彼を恐れた米軍(アメリカ)側の報告書にも記されていた。
「カメジローは、魅力的である」。
今も昔も人々を魅了するカメジローは
人気グループ、ネーネーズの楽曲にもなっています。
沖縄民謡界のレジェンド知名定男が作詞・作曲した
「おしえてよ亀次郎」。
国際通りのライブハウスで歌われている場面が
映画の冒頭シーンで紹介されていました。
歌にまでなった政治家って、ほかにいたっけ?
どんだけ愛されているんだ、カメジロー。
東奔西走、島のために走り続ける一方で
家では毎日、金盥で洗濯をするのが日課だったというカメジロー。
不屈の闘志を持った家事メン。
瀬長亀次郎生誕110年の2017年にあっても、
カメジロー、あなたは魅力的、です。
(写真は)
夏の沖縄旅2017、最後の朝の風景。
夜明けの那覇の街。
再開発のクレーンがシルエットで浮かぶ。
カメジローさん、
沖縄もそろそろ秋ですね。



