いちばん長い日
世紀の確認作業は
たった一日だった。
ある銀行マンの
いちばん長い日。
沖縄の歴史に触れた夜。
夏の沖縄旅2017,5日目の夜は那覇の中の八重山で。
石垣島出身のご主人と西表島出身の女将さんが営む
「割烹 多田浜」を訪れているのでした。
八重山名物オオタニワタリの天ぷらや自家製ジーマミ豆腐、
エーグァー(アイゴ)のマース煮に
№1と評判のゴーヤーチャンプルーに舌鼓。
八重山古典舞踊の名手である美人女将さんとの話も弾みます。
美味しい料理と落ち着いた雰囲気と気配り上手の女将さん。
マース煮に使うお徳用沖縄のお塩の話題あたりから
常連らしきカウンターの先客さんも自然に話の輪の中に。
「ね、○○さん、竹富はどうだった?」なんて
さりげなくお一人様の男性客に話を振る女将さん。
「わぁ、竹富島ご出身なんですか?去年行きました~」なんて
隣の旅人はリアクションするわけで、
あっという間に「いちゃりばちょーでー」。
行き会えば友達。
西表島出身の女将さんと竹富島生まれの先客さんから
八重山の思い出話などを楽しく聞いていると、
「そうそう、この人は竹富、私は石垣」と
そういえば姿が見えなかった石垣島出身の大将が奥から登場。
体調を崩しお店は女将さんが切り盛りしているそうですが、
カウンター席のお喋りに参戦したくなったご様子。
お元気そうで何よりです。
竹富島のミンサー織の話、
石垣出身の英雄具志堅さんの話、闘牛の話、
昔の運動会の話、島々で微妙に違う習慣、行事の話などなど
那覇にいながら八重山の生きた文化のお話が次々と語られるなか、
一番驚いたお話が1971年10月9日の出来事でした。
それは当時の沖縄の金融機関にとっていちばん長い日。
世紀のドル確認作業が行われた日であります。
カウンターの先客さんは沖縄の銀行OBで、
沖縄返還時の貴重なエピソードを教えてくれたのです。
当時の最大の難問の一つがドルから円への通貨交換。
素人が考えても物凄く大変な作業だと思うのですが、
銀行OB氏いわく「たった一日、一日でやったんですよ」。
えっ、ええ~!まさか、一日で?
「そう、何日も家に帰れなかったどね」。
実は悲願の本土復帰が決定したものの、返還を前にして
沖縄の人々にとってとんでもない出来事があったのです。
1971年7月のいわゆるニクソン・ショック。
変動相場制に移行したことで、
交換レートが1ドル=360円から305円に。
沖縄の人たちの財産が一気に目減りしてしまうため、
この危機回避のために世紀の作戦がとられたのです。
それは沖縄の人たちが所有するドルに限って
360円のレートで交換するという極秘作戦。
もしこの計画が外に漏れれば投機的なドルが差額を求めて
沖縄へ殺到してしまうため、特別チームが極秘に準備を進め、
1971年の10月8日に沖縄の全金融機関が抜き打ちで窓口封鎖、
翌9日から離島を含む全35か所で個人が保有するドルのチェックが
一斉に行われたのだそうです。
人々が窓口に持ち込んだドル紙幣一枚一枚に
当初は確認済みのスタンプを押す予定でしたが、
紙幣に汚れがついてしまうのと余りに膨大な枚数にのぼるため、
結局鉛筆の頭についている消しゴムをゴム印代わりにポンポンと
金融機関の職員が押していったというのです。
若かかりし元銀行マンOB氏もその一人だったのですね。
沖縄返還に伴ってそんな劇的な一日があったことなど
本当に不勉強で知りませんでした。
大混乱を避けるために業務上の秘密は保持しなければならないし、
当日の確認作業のハードさは想像を超えていただろうし、
当時の金融機関に働く人々にとって
「いちばん長い日」だったことだけは、わかる。
実は沖縄旅の後、
NHKの「アナザーストーリー」が
この世紀のドル確認作業を取り上げていました。
飲食店などから持ち込まれたドル紙幣は油まみれで
銀行マンたちが「洗濯」して、確認したとか。
人間的な実に人間的な世紀のドル交換作戦だ。
沖縄を知るには、カウンターが一番、かも。
居酒屋や割烹のカウンターが歴史の教科書になる。
「石垣のパイナップル、甘いですよ」。
世紀の一日のお話に興奮気味の旅人に
女将さんがそっと島自慢のパインを差し出してくれた。
「とびきり甘いからな~」。
大将がわっはっは~と笑う。
那覇にいながら八重山を旅し、
沖縄返還時の世紀の一日を旅した。
「割烹 多田浜」。
いいお店だった。
(写真は)
「多田浜」の絶品ゴーヤーチャンプルー。
卵をかき混ぜないオムレツ風がポイント。
美味しい沖縄料理も
ドルでお勘定していた時代があったのだ。
その時代を知る人がいっぱいいるんだ。

