嘉手納の青空~沖縄夏旅2017・vol.9
どこまでも青い夏空。
真っ白な雲。
眩しい緑の芝生に走る銀色の滑走路。
初めて一望する
フェンスの向こうの景色。
夏本番の沖縄夏旅2日目は
恋するやちむん(沖縄の焼き物)を巡る聖地巡礼ドライブ、
多くの窯元が工房&ギャラリーを構える本島中部読谷村へ。
大好きな陶芸家の工房を訪ね歩き、
「北窯」の松田米司さんの娘さんがプロデュースする
ハイセンスなカフェ&ギャラリー「TOU」でお洒落ランチ。
心もお腹も大満足で再びレンタカーへ。
さてと・・・。
冷房の効いた車内で沖縄本島の地図を広げます。
青い海の上、南北に斜めに浮かぶ島の腰のあたり、
読谷村を含む本島中部に立ち寄りたい場所がありました。
「道の駅かでな」。
休憩や飲食などドライブの立ち寄り先として便利な道の駅ですが、
ここは数多くの道の駅の中でもある意味で異色の存在。
フェンスの向こうを一望できる唯一の道の駅なのです。
美しい遠浅の海と広い平地、豊富な比謝川が流れる嘉手納町。
恵まれた地形から縄文時代以前から現代にいたるまで、
沖縄本島中部の要として位置づけられてきた歴史があり、
そんな要衝だったからこそ、薩摩や米軍上陸の舞台となり、
基地の存在につながったのです・・・。
そうか、そうでしたか。
旅人は「道の駅かでな」の学習展示室でこうした説明文に出会い、
嘉手納の歴史、今を知ることになるのでした。
以前から本島中部を車で走るたびに気になっていたのですが、
今回は時間に余裕もあるし、よし、寄ってみよう。
カーナビをセット、さすが道の駅、一発でピンポイント設定完了。
読谷村から美しい比謝川にかかる橋を渡ると嘉手納町。
国道58号線から嘉手納ロータリーを経て県道74号線に入ると
車窓はフェンス越しの風景に一変します。
車窓の右側に延々と続く広大な嘉手納基地に圧倒されているうち、
あ・・・見えてきました「道の駅かでな」。
南国の午後の強烈な日差しのもと、
4階建ての白い建物が一層眩しく見えます。
駐車場にレンタカーをとめてさっそく中へ入りましょう。
1階は名産の甘藷(おいも)を使ったお菓子やぜんざいなど
特産品やスイーツなどを販売するおなじみの光景・・・でしたが、
お土産物と並んでいたのが各種戦闘機の写真、
そしてドッグタグ、米軍個人識別用認識票(おそらくレプリカ)。
特産品と戦場で使用される認識票が並んでいる道の駅は
ここ嘉手納だけかもしれません。
2階はレストラン、3階は学習展示室、
そして最上階の4階は展望デッキになっています。
まずは入場無料の学習展示室に向かいました。
「金網の向こうに見る嘉手納町の歴史」が
はじめて訪れる旅人の胸に現実として迫ってきます。
こんなに・・・狭いの・・・。
町のほとんどを占める基地から押しつぶされるように
横へ張りついたような嘉手納町の全景地図。
町の総面積は15.04㎢、その83%に相当する12.40㎢が
米軍基地となっているのでした。
残された狭い土地に学校が役場がスーパーが家々がひしめき合い、
戦闘機の爆音とともに暮らす生活。
客観的なデータやヴィジュアル、聴覚に訴える展示など、
初めての人にもわかりやすい展示内容を見ながら、
フェンスの向こうに基地がある暮らしを
持てる想像力をフル稼働して思い描きます。
旅をする、知る、考える。
こんな説明文に足が止まりました。
「道の駅かでなの開駅は2003年4月。
その前は沖縄県民はもちろん、嘉手納町民でさえ、フェンス越しに
ごく一部しか嘉手納基地内の様子を知ることはできませんでしたが、
2003年の開駅後からは4階展望デッキから、
これまで知ることのできなかった嘉手納飛行場の様子を
一望できるようになりました」。
4階へ行こう。展望デッキへ行こう。
うわぁぁぁぁぁ・・・。
広い・・・広すぎて・・・向こうが見えない。
町内の83%を占める嘉手納基地が眼前に広がります。
展望場とスカイラウンジを兼ねたデッキには
一般客用に望遠鏡も設置されていますが、
強烈な日差しを避ける休憩テーブルには
プロ仕様の望遠レンズを備えたカメラを持つ人々の姿。
嘉手納を離着陸する米軍の戦闘機を狙うカメラマンたちは
今のところ、無線機やPCの前でのんびり待機中。
次のシャッターチャンスを待っているようです。
確かに。
どこまでも青い夏空。白い雲。
眩しい緑の芝生に走る銀色の滑走路は、静かだった。
遠くに鋭く光る戦闘機が翼を休めているのが見える。
たまたま離着陸のない時間帯だったのでしょう。
午後の強烈な日差しの中、
静か過ぎる嘉手納の昼下がりの風景が、
くっきりと心のアルバムに残った。
フェンスの向こうを、初めて、見た。
旅をしないと見えない景色がある。
感じることが難しい現実がある。
「道の駅かでな」を去る時、大きな銅像に気がつきました。
1605年中国福建省から甘藷を日本に初めてもたらした、
琉球産業の大恩人、野國總管です。
台風や旱魃に負けない救荒作物によって
この島の人々は波乱の歴史を生き抜いてきたのです。
残された狭い土地でまち作りに制約を受けながらも
人々は地域のきずなや豊かな伝統文化を大切に守り、
誇りをもって生きてきたのだ。
「薩摩いも、じゃないよ、ンム、だよ」。
那覇の居酒屋で隣りあったおじさんが言ってた言葉がふと蘇る。
「だろ?私が伝えたんだから」。
銅像の野国總管さんが,ニヤリと笑ったような気がした。
さあゴッパチ(58号線)に戻って、
那覇へ戻ろう。
旅は続く。
(写真は)
青く静かだった嘉手納。
初めて目の当たりにした
フェンスの向こうの景色。

