言葉とダンス
本を読むことは
人生の必修科目、
とは限らない?
ダンスも読書も選択科目の時代、
らしい・・・。
いつもよりのんびりめくる日曜日の朝刊。
「読書は必要」との見出しが目が留まりました。
大学生の読書時間「0分」が5割にという記事に対し、
21歳の大学生が「読書は楽器やスポーツと同じで趣味の範囲、
読んでも読まなくても構わないのではないか」と寄せた投稿に対する
歌人の穂村弘さんが綴った文章だったのですが、
その中にやや衝撃的なやりとりが。
知り合いの青年に「本は読まないの?」と尋ねたら、
「ほむらさんはダンスしないんですか?」と聞き返されたとか。
ひょえ~、そうかぁ~、そういう感覚なんだぁ・・・。
「読書は人生の必修科目でダンスは選択科目、というのは
もう古い感覚らしい」という指摘に本好きも力なく頷くしかなかった。
ダンスもギターもサッカーもテニスも読書もみ~んな自由意志、
やりたい人がやればいいんじゃないってことか。
そうか?本当に、そうなのか?
歌人は控えめながら力強く反駁してくれた。
「『賛成です』と答えることに不安と躊躇いを覚えます」。
読書は言葉と密接に関わっている。
「誰にも会わず一言も話さない日でも、私たちは心の中で
無意識に言葉を使っています」。
だから、ギターやラケットはなくても生きていけるけど、
言葉なしでは生きていけない、と。
そうです。その通りです。
人は言葉という存在を介して自らの世界を形成している。
一つの言葉をきっかけに幸せを感じたり、傷ついたり、
勇気づけられたり、落胆したり、時には大きく価値観が変化したり、
「ひとつの言葉を知ったことで世界像が変化」することもあると
穂村さんは書いています。
読書はダンスやスポーツとは違う意味があるんですよね。
運動神経もリズム感もさほど恵まれていない自分は尚更だった。
子供の頃からダンスや運動では自分のイメージ通りに肉体を操ることが
苦手だったけれど、読書は、まったく不自由を感じなかった。
本を読んでいる間は「言葉」を媒介に想像の翼で自由に踊れた。
「赤い靴」でバレエも踊れたし、「千夜一夜物語」でアラビアも旅したし、
時空を超えて、うんとうんと、私は自由になれた。
本があれば、生きていけるって、幼心に思った。
本は私の狭い世界を広げてくれる。
「本が言葉の、すなわち他者の世界像の塊であることもまた確かです」。
穂村さんは本という存在を明確に優しく定義しています。
読書にはリズム感も運動神経も関係ありません。
本を開けば鈍いアタシも言葉でダンスを自由に踊ることができる。
ダンス・ダンス・ダンス。
そういえば、そんな題名の本もありましたねぇ。
うららかな春だから、本を読もう。
(写真は)
卵4個分のオムレツ。
春帰省していた息子の朝食。
村上春樹の最新作にも手早くオムレツを作る場面があったなぁ。
肝心の息子には読書DNAは
あまり受け継がれていないようですが(笑)。

