青い羊羹
知的で物静かな文豪。
国語の教科書の写真から
勝手に思い込んでいたイメージとは
全然違う夫だったのですね。
でも益々好きになりましたよ。
漱石先生。
「夫婦は小説より奇なり」。
夏目漱石没後100年にちなんで作られた画期的なNHKドラマ、
「夏目漱石の妻」がこの秋から放送されています。
教科書でお馴染みの「文豪」漱石ではなく、
明治という激動の時代を駆け抜け、
成長していくひと組の「夫婦」の姿を
妻・鏡子の視点から描くエンタメ・ホームドラマ。
観れば、文豪が一気に身近に感じられます。
頭脳明晰で几帳面、しかしとんでもなく気難しい漱石の人物像は
それなりに知っていたつもりでしたが、
長谷川博巳が演じる夫・漱石の壊れっぷりは凄まじかった。
英国留学が孤独な漱石をますます追い詰め、
精神的疲弊をきたしたことも知識としては知っていたけど、
帰国後、家の中で荒れまくる夫・漱石に
ただの視聴者、妻でもないのに、途方に暮れてしまいました。
猜疑心にさいなまれ、ささいなことで怒りを爆発させる長谷川漱石。
片目だけが異常に見開かれ、額には怒張した血管がぴくぴく、
別の生き物のように痙攣している。役者さんって凄い。
あそこまで心身を極限に追い詰めた表情ができるなんて。
今にも過呼吸でぶっ倒れるんじゃないかって心配になるほど。
でもドラマの中で夫・漱石が怒れ怒るほど、怒鳴れば怒鳴るほど、
彼の絶望的な、宿命的な孤独が浮かび上がってきました。
ほんと、大変だったね。鏡子さん。
困り果てた妻を救ったのは、客観的医学的な事実でした。
神経疾患の専門家である帝大の教授から
「夏目君の症状は病気です」と伝えられた瞬間、
嘆き悲しむかと思われた鏡子さんが一気に吹っ切れた。
「そうですか、病気なんですね。なら、私、看病しなくちゃ」。
晴れ晴れと語る力強い表情が実に印象的だった。
夫の症状は至らぬ自分が原因ではないのか、
ならば離れた方が良いのではないかと思い詰めていたけれど、
病気ならば、妻は看病しなくちゃ、家に帰らなくちゃ。
明治の妻の潔さよ。
鏡子さんのこの場面で
ふと、元メジャーリーガーの松井選手の言葉を思い出しました。
怪我やプレッシャーなど押し寄せる多くの困難に対して、、
「自分でコントロールできることと、できないことに分けて、
コントロールできないことには悩まない」。
球団経営方針とか不慮の怪我とか己の力でどうにもできないことに
あれこれ、無駄に悩まない。
その代わり自分でコントロールできることに集中して取り組む姿勢は
多くのトップアスリートが実践しているマインドの持ち方であります。
明治の妻ははからずもそれを実践していたのです。
夫の怒りの原因は「病気」だ。ならば看病しよう。
何故病気になったとか、自分が悪いんじゃないかとか
ぐずぐず迷っているよりも、夫の傍にいよう。家へ帰ろう。
明治の妻の潔いセルフコントロールが結果的に
次第に夫の孤独を癒していくことになるのですね。
さんざん苦労した漱石との夫婦生活でしたが、
晩年の鏡子さんは色々な男の人を観てきたけれど
「やっぱり旦那さま(漱石)が一番だったわ」と仰っていたそうです。
夫婦は小説よりも奇なり。
まさに夫婦のことは夫婦にしかわからない、よね。
ちなみに漱石は無類の甘い物好きでも知られています。
ドラマの1回目放送でも女中さんに羊羹を小さく切っておくように言いつけ、
その羊羹が少し減っていると細かくチェックする場面がありました(笑)。
「草枕」の中では羊羹を「一個の美術品」と例えています。
「青みを帯びた練上方は玉と蝋石のようで・・・(中略)青磁の皿に盛られた
青い練り羊羹は青磁の中から生まれたようにつやつやしていて
思わず手を出して撫でてみたくなる」。
やっぱ文豪です、漱石先生。
練り羊羹の色を「青い」と描写する観察力。
余計な装飾など一切ない潔いまで簡潔な羊羹に
誰とも交わらない己に似た絶対的孤独を感じたのだろうか。
しんとして静かな青い羊羹。
孤独な和菓子を最も似合う青磁の皿に盛り付けて出したのは
きっと夫の苦悩を誰よりも知る妻だったのかも、しれませんね。
青い羊羹に夫婦愛を重ねる。
読書の秋。
漱石作品でも読み返してみようか。
(写真は)
漱石先生の青い羊羹、ではなく、
紅色のム―チ―。
月桃の葉に包まれた沖縄のおもち。
紅芋を練り込んだ優しい色合い。
月桃の葉を上手にはがして食べられるようになると
うちなんちゅうとして一人前とか。
だいぶ、うまくなったよ(笑)。

