百年油揚げ
百年油揚げは一日百個限定。
遠く東京から注文が入るという。
思い出のお揚げさんは
今や超レア油揚げだった。
また食べたいな、熱々百年お揚げ。
製鉄所の正門前に広がる街。
懐かしいお豆腐屋さんや焼き鳥屋さんの名前。
北海道をぶらり旅する朝刊の連載記事、今朝の舞台は「鉄のまち」室蘭、
それも製鉄所の城下町として発展してきた輪西町界隈でありました。
新日本製鉄室蘭製鉄所正門の向かいに広がる生まれた街の地図、
あまりの懐かしさに朝からしみじみしてしまいました。
輪西駅、社宅通り、懐かし過ぎて涙が出るよ(笑)。
ああ、間嶋豆腐店が載っている。
毎朝、間嶋さんのおばさんとおじさんが
大きな鍋いっぱいに油の海で大きなお揚げさんを揚げていたっけ。
子供の頃、日曜日の朝にはおつかいで良く買いにいったものです。
熱々のお揚げを胸に抱えて、急いで角を曲がってウチに帰って、
揚げたてにじゅっとお醤油をかけて、大人は生姜をのせて、
はふはふ言いながら食べたなぁ、美味しかったなぁ。
日曜日の朝といえば、間嶋さんのお揚げだった。
創業百年を迎えた間嶋豆腐店の油揚げは
今では東京など遠方から注文が入る人気商品らしい。
1日100枚しか作らないため、昼には売り切れる日もあるとか。
輪西町の超人気、超レア物の油揚げと言えますが、
100枚という数もまた街のお豆腐屋さんの誠実さの現れ。
朝、作った分をその日のうちに売り切る。揚げたてを美味しいうちに食べてね。
昔ながらの徒歩圏内のお客さんを大切にしてきた百年豆腐屋さんの
優しく、温かな心意気が間嶋さんのお揚げには沁み込んでいる。
だから、はるばる東京からも注文が入るのかも、ね。
懐かしい油揚げの味を反芻しながら地図を見る。
そうそう、間嶋さんの前の道を左に曲がった2軒目がウチだった。
新聞に載っている地図に心の中で赤丸をつける。
家の前を真っ直ぐ行った右には小さな市場があったっけ。
よくブランコに乗った公園っぽい広場があった7条通りは、
ふ~ん、今は「グリーンモール」って言うんだ。
あの頃の子供たちは7条広場って言ってたような気がする。
お肉屋さん、魚屋さん、荒物屋さん、本屋さん、おもちゃ屋さん、
あの頃は賑やかな商店街が続いていて、人もいっぱいいて、
夕方4時のボー(サイレン)が鳴ると同時に、製鉄所の正門からは
それはたくさんの仕事上がりの人々がはきだされるように出てきて、
家路を急ぎ、街へ繰り出し、思い出の中の昭和の輪西町は、
いつだって天然色、活気にあふれていた。
輪西駅から7条広場あたりまで。
新聞の地図が示す半径1キロ圏内が子供時代の全てだった。
通学も買い物も友達と遊ぶのも全部、この小さな地図の中に収まっていた。
7条通りを超えるとお隣の校区、なんだか「ヨソ」な感じがしたものだ。
社宅通りから坂道を超えるとイタンキ浜、太平洋の海が広がっていた。
だから社宅通りから向こうへは子供同士では危ないから行かなかったんだよなぁ。
あの頃のアタシの「世界」、地図で見ると、こんなに狭かったんだ。
でも、子供のアタシにとっての徒歩圏内の「世界」は、
十分広くて大きくて、楽しかった。
子供時代を過ごした街の地図。
たまに眺めてみるのも一興かも。
スケール感のギャップに驚いたり、懐かしいお店がいまだ現役だったり、
遊んだ広場が小洒落た公園になっていたり。
心の中のマイ古地図を読み解きながらぶらり故郷散歩もいいかもね。
間嶋さんの百年お揚げが無性に食べたくなった秋の朝。
(写真は)
輪西駅のお隣のお隣、母恋駅名物「母恋めし」。
室蘭取材のお昼にいただきました。
大きなホッキ貝の中にはホッキ飯のおにぎり。
おかずは燻製玉子と燻製チーズ。すべて手作り1日数十個限定の名物レア駅弁。
ちなみに「母恋」はアイヌ語で「ホッキのたくさんある場所」の意味とか。
子供のころは、なかったなぁ。これから百年駅弁となるか。頑張れ~。



