糸数アブチラガマ

昨日8月15日は終戦記念日。

平和を問い直す71年目の夏。

沖縄戦の実相を今に伝える

本島南部の深いガマの中で

闇と光を体験しました。

夏の沖縄旅2016リポート、旅の後半は本島編。

自然と歴史と文化に触れた本島中部ドライブの翌日、

3日目は南部を訪れることにしました。

旅立つ前、NHKの「あさイチ」の沖縄特集を見ていたら

お母さんが沖縄出身である篠山輝信リポーターが

現地のガイドさんと深いガマの中に入っていく場面を目撃。

南城市にある「糸数アブチラガマ」。

戦争の記憶を今に伝える深く、真っ暗な避難壕は

以前から本島南部を訪れるたびに気になっていた場所でした。

事前に連絡をすれば入壕できると知り、早速、調べて電話をし、

この日の午前にガイドさんをつけた見学をお願いしていたのです。

朝から眩しい夏の日差しが降り注ぐなか、レンタカーは出発。

美しい青い海が広がり、絶景の海カフェや隠れ家リゾートが点在する

本島南部は沖縄戦最大の激戦地となった場所。

平和への願いを心に刻む人々が絶えず訪れる平和祈念公園のほか、

戦争の記憶をとどめる平和学習の場が数多くあります。

なかでも貴重な体験の場となっているのが

「糸数アブチラガマ」です。

沖縄本島南部には「ガマ」とよばれる自然洞窟が多数あり、

戦争中は住民の避難壕として利用されていました。

しかし戦後、そのほとんどは崩落が激しかったり、

多くの命が失われたことから、土地の持ち主が公開をためらったりと

一般の人がガマに入るのは難しかったのですが、

「糸数アブチラガマ」は南城市が土地を所有、

全長270mのほぼ全域が公開され、

指定管理者の南部観光総合案内センターを拠点に

修学旅行生を中心に年間10万人以上が訪れる

沖縄戦を今に伝える数少ないガマとなっているのです。

県道86号線から西に入ると見えてきました。

南城市の情報発信基地「南部観光総合案内センター」です。

予約した見学時間は11時から。駐車場に車を停め、白い建物へ。

受付を済ませ、説明を受け、現地ガイドの女性にご挨拶を。

見学に必須の懐中電灯と黄色いヘルメットをセンターでお借りし、

手荷物はすべて車の中に置き、ヘルメットをしっかりかぶります。

安全のため、懐中電灯以外は何も持ちません。

「では、よろしくお願いします」。

午前11時、ますます日差しが強まる中、センターの建物を出て、

ガイドさんの後をヘルメットをかぶって3分ほど歩くと、

全長270mの洞窟内と概要説明が書かれた案内板がありました。

「今、お立ちになっている地面の下にガマがあります」。

夏の日差しを反射して真っ白に光るアスファルトのこの下に、

沖縄戦を今に伝える暗闇の洞窟が広がっているだ。

足元から戦争を感じた。

「糸数アブチラガマ」は自然の洞窟、鍾乳洞。

沖縄の言葉で「アブ」は深い縦の洞窟、「チラ」は崖という意味。

「私たち沖縄の人間にとっては『ガマ』、『壕』は軍隊の言葉ですね」。

私と同世代と思われる地元ガイドの女性、戦争を知らない世代ですが、

その実相、記憶をしっかり受け継ぎ、それを伝えようという意志が

わかりやすい言葉の端々ににじみ、説得力があります。

沖縄戦当時、もともとは糸数集落の避難指定壕でしたが、

日本軍の陣地壕や倉庫として利用され、戦場が南下するにつれて、

南風原陸軍病院の分室となり、昭和20年5月1日から

軍医、看護婦、ひめゆり学徒隊が配属され、

270mのガマ内は600名以上の負傷兵で埋め尽くされました。

5月25日の南部撤退命令で病院は撤退したあとは

200余りの糸数の住民と動けない負傷兵が取り残され、

米軍の激しい攻撃を受けながら、8月22日米軍の投降勧告に従って

住民とわずかに生き残った負傷兵がガマを出たのでした。

案内板からさらに道路を渡り、アブチラガマへ。

鬱蒼とした亜熱帯の緑に覆われ、ぽっかりとガマが口を開けています。。

ゴツゴツした岩を「頭上注意」と書かれたコンクリートが支える現在の入り口が

当時の住民用の出口だったそうです。

見学用に手すりもついていますが、降りるのも難しそうな急勾配。

入り口の天井も低く、まさに「頭上注意」。

一歩一歩、足元を確かめながら、

沖縄戦の記憶をとどめる暗闇に向かって降りていきます。

ここからは撮影禁止。心で記録していきます。

一歩一歩、

71年前に降りていく。

アブチラガマで見たこと感じたこと。

明日またご報告します。

(写真は)

「糸数アブチラガマ」の現在の入り口。

懐中電灯とヘルメットは必須。

受付のセンターで借りることができます。

71年前を実体験できる数少ない戦跡。

沖縄戦を体全体で感じた。