希望の光

闇より暗い闇の向こう

かすかに見える一筋の光。

暗いガマの出口には

希望の光が差していた。

71年前と同じ太陽の光だ。

夏の沖縄旅2016リポート、旅の後半は本島編。

自然と歴史、文化に触れる本島中部ドライブ翌日、

三日目は美しい青い海が広がる南部を訪れました。

沖縄戦最大の激戦地となった本島南部でまず訪れたのが

戦争の記憶を今にとどめる「糸数アブチラガマ」です。

住民の避難壕であり、戦争末期には陸軍病院の分室となり、

軍民あわせて最大1000人もの人々が息を潜めていた自然の鍾乳洞。

全長270mの壕内ほぼ全域が公開されている数少ないガマに

ヘルメットをかぶり、懐中電灯片手に、

地元ガイドさんの案内で一歩一歩降りていきます。

亜熱帯の植物に覆われる岩にぽっかり口を開けガマ。

戦後になって取りつけられた手すりや階段がなければ、

とても降りていけそうもないほどの急勾配と

腰をかがめて慎重に降りていきます。

「頭と、足元、気をつけて下さいね、ゆっくりゆっくり」。

先を行くガイドさんが何度も何度も声をかけてくれます。

階段を10段も降りたら、既に地上の光は全く届きません。

懐中電灯の明かりだけが頼りです。

もともとは糸数の住民たちの避難壕だったアブチラガマ。

小さな子供やお年寄りたちも爆撃の恐怖にさらされながら、

この足場の悪い闇に逃げ込んだのですね。

懐中電灯もヘルメットもなしで。体で感じる戦争の追体験。

隆起サンゴ層に数十万年にわたる雨の浸食によってできた自然の鍾乳洞。

外からは想像できないほど広い地下の空間が広がっていました。

意外に・・・涼しい・・・。

「自然の鍾乳洞ですからね、気温24度前後に保たれています」。

しかし、ここに1000人もの軍民が詰め込まれていたことを想像すると、

まったく状況は違ってきます。戦況は悪化の一途、軍は南部に追い詰められ、

次から次へと負傷兵が運び込まれてきたのです。

まず洞窟の端には破傷風患者を隔離してしてた場所があり、

「ここが病棟、壁際から軍医室、治療室、手術室と並んでいました。

この真ん中の場所に病棟、井戸と水がめ、トイレもここでした」

ガイドさんが懐中電灯をかざして指し示す場所はどこもかしこも闇の洞窟。

清潔で衛生管理が行き届いた真っ白な病院とは全く別物。

水も医薬品も十分ではなく、手術するにも麻酔薬もない。

人いきれ、呻き、血や膿の匂いが充満したガマの中には

濃厚な死の気配が充満していたのです。

ひめゆりの女生徒たちが切断された兵士の手足をバケツに入れ、

外の爆撃に怯えながら、出口まで捨てに行ったそうですが、

段々と感覚がマヒし、「これは○○さんの足だから重いね」など、

そんな会話をかわしたという彼女たちの証言が残されています。

暗闇の中で目と耳と鼻と皮膚と心と、

全身の感覚を総動員して、71年前を想像してみる。

一瞬でも涼しいと感じた自分が恥ずかしくなる。

「ここで、懐中電灯を消してみましょう」。

長く延びるガマの真ん中の病棟に差しかかった辺りで

ガイドさんが灯りを消した。続いて、私も消した。

思わず息を飲む。真っ暗より、暗い。

生まれて初めて感じた真の暗闇。

ブラックホールに吸い込まれたようで

前後左右、体の平衡感覚が喪失したような感じがする。

昭和20年5月25日、いよいよ追い込まれた軍は

さらに南部への撤退命令を下し、病院も撤退、兵士は移動、

糸数アブチラガマに残されたのは住民と動けない重症の負傷兵。

わずかな明かりも持って行かれ、この暗闇に置き去りにされたのでした。

その病棟エリアを抜ける場所が当時の監視所。

兵隊たちは住民が投降しないよう、ガマの中、出入り口で、

住民に銃口を向けて監視していたのだそうです。

現在の出口、当時の入り口に近いあたりが

住民たちが固まって避難していた場所で、軍が撤退した後、

恐る恐る、奥の病棟の方へ様子を伺いにいったところ、

死を待つばかりの重症兵たちが瀕死の状態で横たわっていました。

自分たちを守るどころか、

銃口を向けていた兵士たちを見つけた住民たちがどうしたのか。

「まだ生きてるぞと、井戸の水を飲ませ、雑炊を口に運んだそうです」。

ガイドさんの話を聞いたとたん、涙があふれてきました。

沖縄の人の優しさよ。

8月22日、米軍の投降勧告に従って、

住民と奇跡的に生き残った負傷兵数名がガマを出ました。

その時生還した兵士の一人は戦後、生まれた双子の娘に

自分の命を救ってくれた糸数の住民への感謝の思いから

「糸子」「数子」と名付けたのだそうです。

ガイドさんはその元兵士と交流があったそうですが、

極限の思いをした沖縄へ何度も通う自分のことが

なかなか周りには理解されないと話していたそうです。

「沖縄に来ると、初めて自分になれる」とも。

戦後71年。

でも戦争は終わっていないんだな。

忘れたくても忘れられない。

人の心に否応ない記憶を刻みつける戦争。

活字や映像で知ることもいっぱいあるけれど、

懐中電灯だけで歩く暗闇の譬えようもない重さ。

そんな極限状況でも示された沖縄の人々の優しさ。

戦後生まれの旅人も全身で何かを実感しました。

糸数アブチラガマの出口。

滴るような亜熱帯の緑の狭間から

目に痛いほど眩しい太陽の光が見えた。

人間は時として愚かだけど、でも人間は優しい。

暗闇より暗い暗闇で希望の光を見ました。

(写真は)

糸数アブチラガマの出口に差す光。

ヘルメットを被っているのが現地ガイドさん。

沖縄戦に参加した兵士のうち、

沖縄出身者の次に多かったのが北海道出身者でした。

「だから、北海道からの見学者さんは

私に担当させて下さいって、手を上げたんですよ」。

北海道と沖縄、不思議な縁(えにし)で結ばれている。