赤瓦プライド

真っ青な空。南国の太陽が朝からまぶしい。

生き急ぐかのような蝉時雨を浴びながら

島の静かな住宅街を歩いていくと

重厚な赤瓦の屋根が見えてきた。

石垣島が誇る二百年住宅。

「メーラ ドゥンチ」だ。

夏の沖縄旅2016リポート、旅の前半は石垣島に三泊。

西表島・由布島・小浜島・竹富島の八重山4島クルーズや

メインアイランド石垣島を1周するドライブなど、

八重山諸島の自然、文化、食、人の魅力に触れた4日間、

あっという間に石垣滞在最終日の朝となりました。

夕方の飛行機で本島へ移動するスケジュール、

それまで時間が許す限り、楽しみ尽くしましょう。

島野菜たっぷりの朝ごはんをしっかり腹ごしらえ、

ホテルを早めにチェックアウト、レンタカーに乗り込みます。

時間は有効に使わないとね~。

朝一番の目的地は「メーラ ドゥンチ」。

国の重要文化財である士族屋敷「宮良殿内(みやらどぅんち)」です。

八重山地方の方言で発音するとちょっとエキゾチックな響きがしますね。

首里王府時代、1819年に建てられた頭職(かしらしょく)のお屋敷。

当時、八重山地方は「宮良間切・大浜間切・石垣間切」と

三つの行政区に分けられており、それぞれの頭職の私邸が

「殿内(ドゥヌズ)」と屋号がつけられていました。

「宮良殿内」は宮良地区の行政トップのお屋敷というわけ。

レンタカーで5分ほど走ると石垣の市街地。

ユーグレナモールそばの駐車場に車を停め、ここからは徒歩。

午前中の街並みはまだ静かですが、既に日差しは容赦なく強烈に暑い。

帽子はマスト、さらに白い日傘を差して、朝の住宅街をそぞろ歩き。

それにしても、すさまじい蝉時雨。時雨というよりもスコール。

南国の蝉たちの生命の雄叫びに圧倒されながら、歩を進めると・・・、

おおお・・・青空にどっしりと映える重厚な赤瓦のお屋敷が見えてきました。

これが長い歳月をくぐりぬけた石垣島の二百年住宅、

「宮良殿内」であります。

強烈な日差しや台風にも耐えてきた赤瓦は

ヴィンテージワインのような深いルビー色を帯びている。

伝統的な琉球建築様式にのっとって建てられたお屋敷は頑丈な石垣に囲まれ、

どっしりとした表門をくぐると、これまた立派な屏風(ひんぷん)が。

沖縄独特の中塀である屏風は屋敷を魔物から守るためのものですが、

宮良殿内のそれは、なんと屋根付きの築地塀になっていてびっくり。

ここの施主さん、相当家作りにはこだわっていたと推察されます。

本来、来客は屏風の右側をまわって訪問するのが礼儀ですが、

順路が左側なので、失礼を承知で母屋へ向かいます。

おおお~、琉球王府時代にタイムスリップ、時計が200年巻き戻る。

本当に堂々としたお屋敷であります。

その開放的な沖縄式テラス「雨端(あまはじ)」におじいさんが一人、

小さな机を広げて座っている。

「はいはい、見学の方?お一人200円ね」。

えっと、ここが受付なのね、オープンエアな対応に頬が緩む。

「これね、説明書、200年前のまんまだからね、ゆっくり見ていて下さい」。

うふふ、味のあるおじぃ、王府時代のお役人の扮装が似合いそう。

受付おじぃが座るあまはじをぐるりと回ると

お屋敷の中心部である堂々とした一番座(客間)が見えました。

建物の中に入ることはできませんが、堂々たるこの作り、

さらに二番座(仏間)、三番座(居間)と続く内部も立派そう。

建築材のほとんどに島の犬槇(イヌマキ)が使用され、

一番座と二番座を仕切る中戸には屋久杉の一枚板が用いられているとか。

むむむ、やはりここを建てた松代氏八代宮良親雲上当演さん、

相当の住まい道楽だったと思われる。

実はこの「宮良殿内」、

なかなかしたたかな歴史を秘めているのです。

王府時代当時、住宅建築には階級による規格がありましたが、

このお屋敷の建築様式、間取りの大きさ、建材などは

首里王府士族にのみ認められていたもの。

王府の規格を度外視して、遠く八重山のお役人が

超立派なマイホームを建てちゃったものだから、さあ大変。

建造以来、再三にわたって王府から建て替えを命じられましたが、

安易に従わず、渋々、一時は萱葺きに改修したものの、

王府解体後の1900年(明治33年)には再び赤瓦葺きに戻したとか。

中央政府の注文をのらりくらりとかわし、

地方のプライドを守った「宮良殿内」、なかなかに肝っ玉が据わっている。

誇り高き地方自治の原型か。

この「宮良殿内」が国の重要文化財に指定された理由は

首里士族層の屋敷構えや建築様式を今に残していること。

王府の都があった本島は激しい地上戦で古来の建造物は壊滅。

しかし、石垣島は空爆や艦砲射撃による被害はあったものの、

地上戦が展開されなかったことから、このお屋敷も砲火を免れました。

王府の言うことをなかなか聞かなかった八重山役人のしたたかな誇りが

結果的に戦災で消滅してしまった首里士族層の建築文化を

今に残すこととなったのです。

歴史の妙を感じずにはいられません。

堂々とした一番座を背に広縁に腰かけ、

琉球石灰岩の築山も見事な枯山水の庭園を眺めていると、

う~ん、200年前の宮良間切の頭職気分。

美しい島に美しい建物、美しい庭を造って何が悪い。

そんな呟きが聞えたような・・・。

王府の命令も右の耳から左の耳へ。

飄々と権力をいなす石垣プライドがこのお屋敷には息づいている。

「ありがとうございました~」。

あまはじの受付おじぃに挨拶をして、お屋敷を後にする。

「はいはい、どうもねぇ~、気をつけて~」。

泰然と小机に座るおじぃが、ふとまた、王府時代のお役人に見えてきた。

ふふ・・・そんな旅の錯覚も、また妙なるもの。

(写真は)

風格ある赤瓦も美しい「宮良殿内」。

戦争で消滅した首里士族層のお屋敷が

南の石垣島に奇跡的に残された。

ヴィンテージワイン色の赤瓦は

八重山の人々の誇りの色。