こうだったかもしれない
本当に、
こうだったかもしれない。
首都機能は大阪に移り、
2020年のオリンピック開催地も大阪に変更された。
なぜならあの日の震災で原発4基が全て爆発したから。
桐野夏生の最新刊「バラカ」。
ずっしりと重い650頁の小説を読み終わった今も
「本当にこうだったかもしれない」
そんな思いが重低音のように心の底で響き続けています。
物語の舞台は震災後8年後の日本。
原発事故で東京は放射能汚染され、人々は西へ逃れた。
線量が下がっても人々は戻らず、
東日本は棄てられた日本になっていた。
主人公は警戒区域に取り残されていた少女「バラカ」。
日系ブラジル人として生まれながら、
中東ドバイのベビースーク(赤ちゃん市場)で人身売買され、
日本人夫婦の子となり、東京で震災にあい、
被ばくの影響で甲状腺がんを発症、
震災後の混乱の中で棄てられ、老人たちに救われますが、
いつのまにか被災の悲劇の象徴、希望のシンボルとなり、
原発をめぐるまざまな勢力の思惑、陰謀が交錯する渦中に
否応なしに巻きこまれていくのでした。
震災から5年。
作家の懊悩とともに様々な視点から
「震災」を描いた小説が発表されていますが、
桐野夏生は、桐野夏生だった。
「明るくて未来に向かうものなんて到底書けなかった」と
著者本人があるインタビューで語っている通り、
混乱、欲望、欺瞞、暴力、虚飾、差別・・・
5年前4基の原発全てが爆発したとしたら、
日本は、本当にこうだったかもしれない。
小説の中に「震災履歴」という言葉が出てきます。
すべてを喪い、誰の助けもなく、棄民となった人々は
壊れてしまった人生の軌跡「震災履歴」を語って
自己紹介し合うのです。
初対面の場面で名刺交換をするように
凍った表情で淡々と「震災履歴」を語り合う8年後の日本。
こうだったかもしれない、ありえたかもしれない世界の無残さが
どんな過激な表現よりも胸に突き刺さってきました。
今朝の新聞書評で政治思想史の学者が
桐野夏生は徹底的にディストピア(暗黒郷)を描くことで
現実を逆照射しようとする思想家だと分析していました。
人間の暗黒、ダークな部分を鋭くえぐり出すことで
この時代をどう生きていくかという問いを読者に突き付けてくる。
こうだったかもしれない日本で、
棄てられた「バラカ」はこう生きた、さあ、アンタは、どうする?
最も敬愛する作家から痛烈な宿題を出されたような気がする。
分厚い物語を読み終わった爽快感など
この小説に期待してはいけない。
ある意味、悪魔よりも醜悪な男も登場する。
バラカは棄てられ、だまされ、誰も信じられなくなる。
ただ、月刊誌連載から単行本化された時に
付け加えられたというエピローグにはかすかな希望がほの見える。
作家は絶望しながらも、物語を投げ出さなかった。
桐野夏生は、やっぱり凄い。
バラカという名前には
「バラック」と同意語の「居場所がない存在」という意味と
アラビア語の「神の恩寵」という意味を重ねたそうです。
こうだったかもしれない世界で
居場所のないアタシは神の恩寵を受けられるのか。
650頁、今、読むべき一冊です。
(写真は)
春の日差しを浴びながら
ちいさなお饅頭を食む。
これも、神の恩寵、か。
重い読後感をかみしめる。
やさしい甘みが沁みる。

