遥かなる旅
真夜中に降りだした大雨が
季節の分かれ目だったのでしょうか。
今朝は曇り空ながら連日の蒸し暑さが一段落、
開け放した窓から、す~っと心地よい風が通り抜けていきます。
そういえば昨夜はどこからか虫の声が聞こえてきました。
気づけば明日は立秋。
大変、大変、夏を楽しみ尽さなくちゃ(笑)。
ゆく夏を惜しむのはまだ早い。
夏の沖縄旅6日目、「旅中旅」リポートを続けましょう。
早朝に那覇をJTAで飛び立ち、1泊2日のショートトリップを満喫。
行先は伊良部大橋開通で5つの島がひとつながりになった宮古島。
伊良部島、下地島、そして池間大橋を渡って池間島へ。
自らを「池間民族」と称する誇り高き海洋民族、海人(インシャ)の島で
まずは名物「さめそば」と絶品「カツオ丼」を堪能しました。
勇壮なカツオ一本釣り漁の船が出航する漁港のまん前、
池間漁協直営の「池間食堂」でお勘定をしていたら
よく日に焼けた漁協のおじさんが「島のこと、色々詳しく書いてあるから」と
親切に島のガイドマップとルートブックを渡してくれました。
そして「そうそう、表の船は、もう見たかい?」と、もう一言。
「おもての船?どこにある船ですか?」
「そこそこ、すぐそこ、ついておいで」
漁港だもの、船はそりゃ、あるだろうけど・・・???と思いながらも
すたすた、食堂を出ていくおじさんの後にあわてて続きました。
漁協の事務所や食堂が併設されている八重干瀬センター。
コンクリート作りの建物を出ると芝生の前庭が広がっています。
横に駐輪場、道路を挟んだ前は漁港、港に船があるのは当たり前ですが、
しかし、その手前、芝生の前庭の奥に一隻の船が。
緑の芝生に置かれた漁船らしき謎の船。
何故?芝生に船?
「これがさ、震災の被災地から流れてきた船なのさぁ」。
「震災って、あの東日本大震災ですよね、あんな遠くから・・・」。
そう、あんな遠い東北の港からこの池間島まで流れ着いた漂着船なのでした。
この漂着船が流れ着いたのが今年の3月13日のこと。
池間島北のカギンミ海岸に漂着した船を島の住民が発見、
通報を受けた宮古島海上保安署が調べたところ、
船は「第五徳丸」(長さ6m、重さ0.6トン)で
所有者は石巻市で漁業を営む64歳の男性とわかったそうです。
その後、漁船の登録番号から持ち主を特定し、
石巻漁協を通じて男性と連絡をとったところ、
震災時に流出した漁船だとわかったそうです。
遠きみちのくの港より流れ着いた一隻の漁船。
あれから4年もの月日、
いったいどんな航路でどんな旅を続けていたのでしょうか。
船体そのものには大きな損傷はありませんが、
もちろんモーターも機器類もいっさいなく、船の中はがらんどう。
南国の明るい日差しの下、緑の芝生の上に置かれた漁船は
長い旅路を終えて、ようやくほっと身を横たえているように見えました。
「持ち主さんが、ここまで、船、見にきたんだよ」。
同じ海の仲間である池間漁協のおじさんは
ペンキも少し剥げかけた船のへりをいとしむように撫でながら呟きます。
地元紙などによれば漂着船は海保から宮古島市に引き渡され、
持ち主さんと処分が検討されたようですが、
今のところは、池間漁港の港を眺めながら、
誇り高き海人(インシャ)の島で長い休憩をとっているようです。
かつてこの池間島から
遥か遠い南洋のボルネオ、セレベス、パラオまで
多くのカツオ漁船が漁にでかけていきました。
故郷を離れて遠い遠い航路を旅した海の男たちの伝統が息づく島に
未曾有の大津波で故郷から引きはがされた漁船がたった一隻流れ着いた。
それは海の神様の計らいか、せめてもの償いか。
新造船の時はさぞや鮮やかなブルーだったことでしょう。
もはや青いペンキの色も褪せてきた第五徳丸。
みちのくから流れ着いた漂着船は
その舳先を池間の港に向けて、ただ静かに佇んでいました。
舳先の向こうに見る夢はまだ見ぬ南洋の海なのか。
銀鱗きらめくカツオの大漁を夢みているのかもしれません。
名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実一つ。
故郷の愛知の海岸に流れ着いた椰子の実を見つけた柳田國男は
黒潮に乗って幾年月の旅の果て、椰子の実が一つ、
「岬の流れから日本民族の故郷は南洋諸島だと確信した」と
親友だった島崎藤村に語り、
この有名な歌曲の詞が生まれたと言われています。
椰子の実と一隻の漂着船。
遥かな遥かな旅の果て。
魂の故郷は見つかったのだろうか。
(写真は)
みちのくから流れ着いた第五徳丸。
海は人間に多くの恵みを与え、時に奪い、そして旅をさせる。
ようやくたどりついた誇り高き池間民族の島で
今は、ゆっくりと、おやすみ。

