みるく世がやゆら
「みるく世がやゆら」。今は平和でしょうか。
真っ白い夏の制服姿の男子高校生が
少し緊張気味に、しかし朗々と平和の詩を朗読しています。
みるく世がやゆら。
何度も繰り返されたこの言葉。
優しい響きで一番大事なことを問うていました。
昨日6月23日は沖縄「慰霊の日」。
糸満市摩文仁の平和祈念公園では
沖縄戦全戦没者追悼式が営まれました。
70年前、20万人以上が犠牲となった熾烈な地上戦は
多数の民間人を巻きこみ、県民の4人に1人が亡くなっています。
テレビの生中継画面を観ながら、
遠く離れた北海道からも追悼の祈りを捧げました。
その追悼式で「平和の詩」を読み上げたのが
幼い頃から琉球舞踊を学んできたという県立高校3年生の若者でした。
端正な面持ちと朗々と響く声。
沖縄文化を継承する若者たちを追ったドキュメンタリーで
彼を観たような記憶があります。
音楽隊は擁しても軍隊は持たなかった琉球王国、
その高い文化性を次ぐ若き才能が放つ澄んだ声が
私たちすべてに問いかけてきます。
みるく世がやゆら。今は平和でしょうか。
真っ青な海に向かって並ぶ平和の礎(いしじ)。
石碑に刻まれた名前を指でなぞりながら涙を流す遺族。
どこでいつ亡くなったかもわからない、遺骨も見つからない、
大切な人を偲ぶよすがさえ奪われた自分にとって、
礎(いしじ)は「唯一、触れることのできる思い出」。
あるドキュメンタリーでご遺族の一人が語っておられました。
平和の礎(いしじ)を訪れたとき、
「~の妻」「~の長男」という刻銘を見て胸がふさがれました。
この美しい島でかつて名前が確認できないほどの戦があった。
そして戦ののちも名前を追えない混乱に置かれた。
名もなき刻印が沖縄戦の実相を静かに物語っています。
中にはお母さんのお腹の中にいて
生まれてくることが叶わなかった小さな命の名もなき名も。
私の父は甘いものが大好きだった。
だから、昨日、美味しいどら焼きを頂けば、
おやつに食べる前に父の写真の前に供える。
でも、お父さんが何が好物だったかもわからない。
そんな娘さんもいるのです。
「お父さん、ミカンが好きだったかな、
まんじゅうが好きだったかな」と
石碑に額を当てる70歳の娘の写真が今朝の新聞に載っていました。
彼女が生まれたのは沖縄戦が終わる直前。
犠牲になった沖縄防衛隊の父とは会えないまま、写真も焼け、
父の思い出は何もない70年。
礎(いしじ)の石の肌が、父の温もり。
みるく世がやゆら。
優しく美しく響く戒めの言葉を
忘れません。
(写真は)
大福で人気でお餅屋さん特製のどら焼き。
自慢のお餅とさらりとした上品なこしあんが
ダブルではさまれていました。
甘党が喜ぶフィリングを優しく抱くのは
黒糖の香りがたまらない手焼きの皮。
甘いおやつは涙の味がした。

