長靴とどら焼き

銅鑼というよりはまんまるい鈴にも似た福々しいフォルム。

鈴焼きとでも呼びたいような「どら焼き」は

長い年月を積み重ねた歴史の味がした。

千秋庵総本家のどら焼き。

函館で愛され続けてきた老舗の名物お菓子であります。

週末、函館出張に出かけた夫に

「時間あれば」とリクエストしていたのですが、期待以上の収穫(笑)。

お上品な「小萩饅頭」に「栗饅頭」、そして名物の「どら焼き」などがどっさり。

嬉しい、困った、また体重増えちゃうよ~(笑)と泣き笑いしながら、

いそいそとお茶を入れて、至福のおやつ時間。

なんてお肌のキレイな美人菓子でしょう。

丁寧に焼きあげられたどら焼きの皮の美しいこと。

一点のしみもムラもない完璧な焼き上がり。

その美肌な皮に三日かけて練り上げた粒餡がそっと挟まれています。

皮と餡の割合は2対1、

あんこずっしりというよりは両者の絶妙なバランスを味わえる黄金比率。

甘党はもちろん、左党にも喜ばれるどら焼きではないでしょうか。

創業万延元年の老舗、長年愛されるワケがその一口でよくわかる。

函館宝来町、情緒溢れる坂道の麓に佇むひときわ風情ある建物。

それが万延元年創業の老舗「千秋庵総本家」。お店のHPによれば、

秋田藩士だった初代が日米和親条約の開港で沸く函館に渡り、

菓子売りを始めたことがその歴史の始まり。

その後札幌や帯広に生まれた千秋庵のルーツでもあります。

「千秋庵」という屋号は故郷秋田を偲んでつけられたそうで、

新天地に渡ってきた幕末の若者たちの希望と望郷の念が感じられます。

それにしても、万延元年ですよ、ってことはう~んと・・・1860年。

ああ、大江健三郎の「万延元年のフットボール」という作品もありましたね~。

小説のタイトルになるくらいですから、日本史的にも激動の年なんだろうと

歴史年表をちらりとひもとけば、いやいや半端ない1年でありました。

1860年は3月に安政7年から万延元年に年号が変わっているのですが、

1月に勝麟太郎を乗せた咸臨丸がアメリカに向けて浦賀を出発、

2月には幕府の遣米使節一行がハワイに到着、

3月2日に桜田門外の変、18日に万延元年と改元、

28日に幕府の遣米使節団がワシントンで大統領と会見、

9月には明治天皇の立太子の御儀が行われる・・などなど、

日本という国がうねりのような音をたてて大きく大きく変わろうとする時代。

この1年で大河ドラマの2,3本は軽く作れそうだ。

一人の秋田藩士が開港に沸く函館に向かったのも歴史の必然か。

名物のどら焼きは大正時代の末に四代目が作り始めたもので、

今でも手間のかかる宵ごねで生地を作っているそうです。

夫があれやこれやお菓子を選んでいるとき、

ガラリと戸を開けて店に入ってきた長靴姿のおじさんが

「おっ、どら焼き20個!」と威勢よく注文、どっさりと買いこんでいったそうです。

函館、長靴率の高い港町らしい風景。

老舗だからとお高くとまらず、庶民に親しまれていることがよくわかります。

新しい時代に夢を抱いて北の大地に渡ってきた初代の気概を大切に

街に根づき、誠実に手仕事を続ける老舗の真心が

まるい形も優しい2対1のどら焼きにあらわれているようでした。

冬の函館の美しい風景を浮かべながら

かぷりとどら焼きを食む。

おやつ時間は小さな旅の時間。

(写真は)

ね~、見事な美肌どら焼きでしょ?

目をつぶり一口食べれば

万延元年の函館が浮かぶような・・・。

日本随一のトレンドシティだったんだろうな~。