象牙色の記憶
春の雨から一転、きょうは冬の嵐へ。
なんとめまぐるしいお天気の急変でしょう。
昨日は春の雪解けのような雨だったのにねぇ。
今度はまたまた爆弾低気圧だって。
空港までのドライブが一日遅れたら大変でした。
帰省していた息子が大学のある遠方へ戻るため、
新千歳空港まで車で送っていったのですが、
昨日の道中は春先のような雨、
空港周辺は雪もほとんどなく、つつがなく息子は機中の人へ。
搭乗口へと向かうその後ろ姿を懸命に視線で追う母。
混雑する保安検査場の向こうは逆光でよく見えない。
しかし、母親という生き物はシルエットだけで我が子を識別できるのだ。
ちょっとつば広のハットをかぶった影がこちらに向かって手を振っている。
「元気でね~、カラダ気をつけてね~」。
え~っとぉ・・・、白状するが、毎回、この瞬間にうるっとくる。
我ながらまったくバカじゃなかろうか(笑)。
「今生の別れじゃないんだから」。
毎回、息子は同じセリフで苦笑する。今回も例外ではなかった。御意。
これにて、帰省の度に毎度繰り返される親馬鹿儀式も終了(笑)。
母と言う名の愚かな生き物よ。
息子を無事に見送り、ハタとまわりを見れば、
搭乗口に向かって必死に手を振る姿があちらでもこちらでも。
大人の陰に見え隠れする小さな影を追って、
右へ左へ、そしてずんずん前へと移動する初老のご夫婦。
お孫さんを見送っているのでしょう。
息子一匹いなくなっただけでも狭い我が家が広く感じるのだから、
小さなお孫さんが帰ってしまった後は
それこそ「火が消えたような」寂しさなんでしょうね。
ま、また会える日を楽しみにしましょう。
きょうは七草。
松の内もおしまいです。
玄関ドアのお正月飾りを取り入れて、
お雑煮用の秀衡碗や韓国三島手の大皿もしまいましょう。
年に一度、お正月にだけ使う器たち。
丁寧にふいて、薄紙にくるみ、桐の箱に収めていると
器と共に過ごしてきた数々の思い出が蘇ってきます。
決して美術館に飾られるような逸品ではないけれど、
我が家にとっては大切な歴史の証人。
そうだった。
父が生きている頃、年末には大きな鯛をぶら下げてきたっけ。
オーブンに苦心して押し込めて、なんとか塩焼きにした鯛は
この象嵌が美しい韓国の大皿でなければおさまらなかった。
今年は私がスーパーに鮮魚売り場で予約した鯛を別のオーヴァル皿に。
この大皿にはローストビーフを盛り付けた。
どちらもお似合いだけど、
父も交えてみんなで塩焼きを囲んだ日々は、もう戻ってはこない。
お正月のハレの器を薄紙で包みながら
毎年、過ぎ去った大切な日々の記憶もそっと桐の箱に納める。
また一年経って、この箱を開けるとき、ふんわりと温かい何かが蘇るのだ。
象牙色の大皿を手にきっと、私はまた、父の鯛の塩焼きを思い出すことだろう。
生きている人と亡くなった人を
食の記憶がゆるやかにつないでくれる。
さあ、七草だ。
消化の良いお粥でお正月の食べ過ぎをリカバリーせねば。
生きている我々は、また元気に日常に戻っていく。
(写真は)
韓国京畿道にある青玻窯の大皿
作家は李殷九という方らしい。
国立博物館にもその作品が永久保存されています。
その昔、超ハードな韓国取材の際に
奇跡的に手に入れた思い出の器。
ローストビーフの鮮やかなルビー色が良く映える。
ハレの大皿、いい仕事してくれます。

