源氏物語南の巻

たてじとみ。

ほぉ~、初めて聞いたような言葉です。

いちおう、大学は国語国文学科だったりしますが、

平安文学の授業には出てきていたのかもしれませぬなぁ、

知らなかったです、「立蔀(たてじとみ)」。

錦秋の京都を彩る特別企画、

「京都非公開文化財特別公開」が31日から始まります。

その見どころ4か所が朝刊で紹介されていたのですが、

京都御所の北側にある冷泉家の邸内にその「立部」がありました。

1600年頃に構えられ、1788年(天明8年)の大火で焼けたものの、

その2年後に再建されて冷泉家は公家住宅の貴重な遺構。

11月4日まで住宅や御文庫の外観が公開されます。

「400年動かない家」。

冷泉家時雨亭文庫の冷泉貴美子常務理事の言葉通り、

幾度もの戦争や火事を乗り越え、

平成の世まで京の都に動かずに残った家はそれだけで貴重な文化財。

白い塀に囲まれた表門は亀をかたどった瓦が屋根に載せられ、

その表門を入っったところに「立蔀」があります。

格子に組んだ戸「蔀(しとみ)」をついたてにし、

内玄関を遮る目隠しとして置かれたものです。

平安時代から鎌倉時代にかけての公家住宅の様式である寝殿造では

敷地の周囲に築地をめぐらすほか、

建物の周囲や庭の仕切りに多くの種類の垣が用いられ、

ヒノキの薄板を網代に編んだ檜垣や

割竹を縦に編んで木製の枠に張った透垣とともに

この「立蔀」が建物の近い周囲に多く使われました。

お屋敷の外回りをゆるやかに守る雅な外周建具であります。

縦横に格子状に組まれた木材を張った板戸が

立派なお屋敷の玄関をそっと通りの視線から守るように立てられています。

当時の貴族住宅、基本的には門を開けていたそうで、

いくら今より人通りの少ない平安時代でも

中が丸見えなのは、ちょっと・・・ねぇ、

で、玄関だけをさりげなく隠す「立蔀」は実に便利な建具だったわけです。

現存し、しかも現役の「立蔀」は大変貴重な存在で

冷泉貴美子理事によれば

「源氏物語とここにしかないと言われています(笑)」とか。

日頃非公開のリアル源氏物語がこの秋特別公開、

ああ、京都に行きたくなる~。

しかし・・・この「立蔀」の佇まい、既視感があります。

京よりはるか南、そう沖縄、

赤瓦の古民家を守る「屏風(ひんぷん)」そっくりではありませんか。

語源は中国の屏風(びょうぶ)。

庭側に門がある沖縄の民家、道路から丸見えにならないように目隠しの役目と

悪霊や魔物が家に入らないように守る役目もあります。

材料は一枚岩や石積み、板塀、生け垣、花壇などさまざまで

屏風(ひんぷん)見学は沖縄の古民家巡りの楽しみのひとつですが、

何と源氏物語の世界と共通点があったとは。

「屏風(ひんぷん)」にはちょっとしたルールがあり、

昔、男性はひんぷんの右側から、女性は左側から入ると決まっていたとか。

右は表玄関、左は勝手口というわけらしく、

お正月だけは「正月なので右から入ります」と声を掛けて

女性たちも右から通ったそうです。

ふ~ん。

平安時代の「立蔀」にはどちらから入るなんて決まりあったのでしょうか。

光源氏は右から・・・、

ん?そもそも「通い婚」の時代、デートに出掛けるのはもっぱら男性、

女人は奥で待つばかりでしたから、あんまり関係ないか・・・?

ともかく雅な京の貴族文化を伝える「立蔀」と

沖縄の開放的な民家を象徴する「屏風(ひんぷん)」の意外な相似性は

実に興味深く、ぜひとも拝見したいのですが、

公開は来月4日まで、京都旅行の予定はないしな~、残念。

外の世界に向けていつも門を開き、

ぴしゃっと門扉を閉じて拒絶することなく、

見えるようで見えないついたてをそっと置くゆるやかな優しさ。

平安の人々と琉球の人々の心のありように

思わぬ共通性を発見した、文化の秋の一日であります。

さあ、本日はスポーツの秋。

J1昇格に向けて勝つしかない我がコンサドーレ札幌、

札幌ドームで首位湘南と対戦。

応援、行ってきます!

勝つしかない!

(写真は)

渡嘉敷島に残る歴史を刻む「屏風(ひんぷん)」。

琉球王朝時代に作られた「根元家の石垣」。

唐に渡る船の船頭を務めた当家の主が

「唐儲け(からもうけ)」によって建設したといわれていて、

精巧に切りとられた石灰岩を正確に積み上げた匠の技が見事。

石垣とひんぷんだけが南の島に残されていた。

ひんぷんや唐船どもが夢の跡・・・か。