対馬丸のこと
札幌は朝から冷たい雨が降り続いています。
台風の影響は少ないようですが、冷え込みの強いこと。
予想最高気温は10度、ということは、今はまだ一ケタの気温。
窓を開けて深呼吸、吐く息も真っ白になりました。
きょうのおでかけはしっかり秋モードの服装ですね。
いよいよ、秋深し。
あの眩しい陽光が今となっては懐かしい初秋の沖縄旅。
5日目は慶良間諸島、渡嘉敷島まで半日バカンス、
朝9時に高速艇で出航、島内をぐるりとめぐってケラマブルーを堪能、
14時渡嘉敷島発の船に乗り、14時半には那覇の泊港に戻ってきました。
実は大切なもうひとつの目的があるのです。
那覇港を望む一角に静かに佇むメモリアル施設。
「対馬丸記念館」です。
昭和19年(1944年)8月22日、
沖縄県内各地から集められた子供たちが乗った学童疎開船「対馬丸」は
本土を目指す途中、鹿児島県悪石島付近で
米海軍の潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃により沈没しました。
乗船者1788名のうち約8割の人々が犠牲となり、
今もなお船とともに海底に眠っていいます。
この「対馬丸事件」の全容を学び、後世に伝えるために
2004年にこの記念館が設立されました。
事件から70年の今年6月には天皇、皇后両陛下がこの記念館を初めて訪れ、
犠牲者を慰霊する「小桜の塔」に献花されたことも
ニュースになっていました。
渡嘉敷島からの高速艇が着いた泊港に近いこの記念館、
是非とも訪れたかった場所であります。
ターミナルビルの駐車場でレンタカーのナビに入力すると本当にすぐ近く、
安心してハンドルを握りましたが・・・、
あれれ・・・ナビは「目的地周辺です」と宣言するものの、
記念館らしき建物が見つからない。
「あのぁ・・・対馬丸記念館ってこの辺ですよね?」と
バイクで集金中らしきガス会社のおじさんに聞いてみると、
「ああ、対馬丸記念館ね~、う~んと、近いことは近いんだけど、
ちょっとわかりにくいからね~、後ついてきなさいよ、連れてってあげるから」。
「え~、お仕事中なのに、すみません、ありがとうございます!」。
なんてハートがあったかいんだ、だから大好きなんだ、沖縄LOVE。
親切なおじさんのバイクの先導で無事到着しました。
真っ白い船のような美しい建物「対馬丸記念館」です。
波の上ビーチのそば、旭ヶ丘公園に建つ2階建ての記念館は
実際に対馬丸が出航した那覇港につながる海を見渡せる場所にあります。
建物は対馬丸への乗船をイメージした構造になっていて
事件の全容、犠牲者の氏名、遺影、遺品、生存者や遺族の証言、
当時の学校の教室や船内の復元展示などを見ることができます。
記念館が伝えたいことは「子どもと戦争」。
70年前に海に沈んでしまった対馬丸のきみから、
今を生きているきみへのメッセージが静かに聞こえてきます。
ここを訪れた人はあることに気づくでしょう。
戦争の悲劇を伝える記念館ですが、
犠牲者の多さに比べて遺品や遺影がとても少ないことに。
わずかにランドセルや筆箱や教科書が展示されていますが、
子どもの数だけあったはずの学用品も洋服もズック靴も
ほとんど残されていません。
持ち主とともに海の底に沈んでしまったのです。
またその犠牲者の数も冒頭で触れたように
記念館のリーフレットの説明文には「約8割」と記されています。
「対馬丸」に関する確かなデータがひとつもないということ。
これこそが対馬丸事件の本質を物語る事実なのです。
沖縄から本土へ疎開する子どもたちを乗せた船が撃沈された。
この事実は当時、厳重な緘口令が敷かれ、
当然、細部にわたる被害の実態調査も行われませんでした。
また数少ない生存者も「自分だけが生き残ってしまった」と自身を責め、
事件の記憶を封印された方も多く、これだけの大事件にも関わらず、
実相がいまだ判明していない悲劇でもあるのです。
乗船者1661名のうち、2012年8月現在判明している犠牲者の数は1481名。
この数はご遺族からの申告があるたびに少しずつ増え続けています。
撃沈から70年経った今でも、
新たに記念館に加えられる遺影があるということ。
それは、戦後は終わっていないということ。
犠牲者の魂が迷うことなく帰ってこられるように
記念館の奥には昭和19年の教室の様子が再現されていました。
当時の学校やふるさとの景色を背景に
あの夜、海に沈んだ子供たちの名前が刻字されています。
みんな、おかえりなさい。
安全のための疎開が戦場の海への出航だった。
港で「いってらっしゃい」と送り出した親たちは
二度と子どもの「ただいま」の声を聞くことはなく、
修学旅行のような気持ちで親から離れた子どもたちは
二度と「おかえり」の声を聞けなかった。
たった70年前の出来事です。
真っ白い船のような対馬丸記念館を出て、緑の公園の小道を進むと
白い階段が美しい「小桜の塔」があります。
対馬丸事件犠牲者の慰霊碑には
大きく羽を広げた鳩のレリーフが刻まれていました。
鳩がまっすぐ見つめる先には那覇港の青い海。
子どもたちは未来に向かって船出させるのだ。
それが大人の責任だ。
夕暮れ近い午後の日差しを受けて光る海の青が心に沁みます。
慶良間諸島の青。
那覇港の青。
忘れられない青です。
(写真は)
対馬丸記念館を出たら、
緑の公園の中を歩いて見て下さい。
真っ白い美しい慰霊碑「小桜の塔」です。
愛知県のすずしろ子供会が
沖縄に子供たちの慰霊碑を作ろうと1円募金から始め
愛知県知事はじめ県内の大きな協力によって建立、
昭和29年(1954年)5月5日のこどもの日に除幕式が行われました。
子供たちとぜひ訪れてほしい記念館と慰霊碑であります。



