華の酒
9月の沖縄で「ちいさな秋」を探す旅。
本島北部、本部半島の付け根にある名護のまちを散策、
名護のシンボル「ひんぷんガジュマル」に導かれるように
沖縄で唯一戦前の姿を残す赤瓦の泡盛工場「津嘉山酒造所」を訪れました。
昭和3年から国頭郡の華となるよう、
「国華」と名付けられた銘酒が造り続けられています。
戦火をくぐりぬけてきた赤瓦と黒麹が見つめてきたお話の続き。
現存する赤瓦を有する木造建築としては最大級の建物は
平成21年に国の重要文化財に指定され、
現在は大改修工事に入っていましたが、偶然と幸運に恵まれ、
酒造所の秋山さんの案内で貴重な建物すべてを見学することができました。
戦前からの赤瓦の屋根を見られるのも今が最後、本当にラッキー。
泡盛の命、黒麹が棲みつく麹屋、工場に続き、棟続きの母屋に向かいます。
酒造施設と居住部分が一体となった形式は珍しく、
昭和初期の沖縄の暮らしを今にとどめる貴重な歴史的建造物といえます。
「あ、これ、借りてくね」。
解体作業中の現場から携帯用の蚊取り線香をひょいと片手にとって
庭へと歩く秋山さんの後に続きます。
濃い緑に覆われた古い井戸、屋敷をぐるりと取り巻くさまざまな亜熱帯の木々、
そして沖縄独特の豚の飼育施設「フール」の跡もありました。
泡盛を蒸留した後のもろみ粕は豚の良い餌となり、
酒造所ではたくさんの豚を飼っていたそうです。
昭和30年代には豚専門の従業員もいたとか。酒を造り、その副産物で豚を飼う。
理想的な資源循環型産業が当時から行われていたのですね。
それにしても本当に豪勢なお屋敷です。
沖縄の民家には珍しい立派な玄関があり、
日本式の灯篭を配した池には今でも大きな鯉が悠々と泳いでいます。
屋敷に残されていた戦前の名護のお祭りの写真を見ると、
華やかに飾られた外国車を囲む酒造所のメンバーが写っていて、
配達に使っていたトラックはシボレー。
どうやら、この赤瓦のお屋敷は
当時の名護にあっては、かなりセレブリティーな存在だったようです。
しかし太平洋戦争勃発。
戦況が著しく悪化する中、
良質な水を育くむ地で旨い酒を造り続けていた酒造所にも戦火が迫ってきました。
昭和20年4月、名護湾からアメリカ軍が上陸、
市街地のほとんどの建物が破壊され、
周囲はすべて焼け野原となってしまいましたが、
この「津嘉山酒造所」だけは幸いにも残ったのです。
当時の写真を秋山さんが見せてくれました。
灰燼と化した市街地にぽっかりとこの建物だけが残されています。
「ね?不思議でしょう」。
「実は、アメリカ軍はこの4月以前に
名護を上空からつぶさに空撮していたんです」。
その空撮写真を見る機会があった秋山さんは直感したそうです。
「彼らは既に戦後を見据えて、沖縄を空爆したんだ」と。
小さな民家がひしめく中で、威風堂々と佇む「津嘉山酒造所」。
全てを破壊してしまっては、
戦後処理に駐留する際に自分たちがテント暮らしになる。
「勝つ」ことが前提で、
駐留施設となりそうな酒造所だけは爆撃しなかったのではないか。
沖縄上陸の時点ですでにアメリカは戦後を見ていた。
「その証拠が、母屋に残っています、ここです。」。
秋山さんが指さしたのは裏座(奥の間)へと通じる廊下の鴨居部分。
釘かナイフの先で書いたのでしょうか、
手書きのアルファベットが刻まれています。
「OFFICERS QUARTERS」と読み取れます。
将校居住室、士官棟か、将校クラスのスペースを表す単語が気まぐれみたいに。
驚きました。
屋敷内には他にも「CLUB31」とか、
食堂を表す英語の痕跡などがあるそうです。
母屋と続く離れ「アシャギ」もある立派な赤瓦のお屋敷は
戦後、アメリカに接収され、
占領中は軍の事務所やパン工場として使われたのでした。
こうした事実は書物で知ることができるかもしれませんが、
焼け野原にぽつんと残された屋敷内に
泡盛の香りの代わりにパンを焼く甘い匂いが、
ゆるやかな島言葉の代わりに早口のアメリカ英語が主役だった時代があった。
その事実を物語る無造作に刻まれたアルファベットの生々しさ。
これは、この場に立たなければ、決して体感できないものでした。
創業者の津嘉山朝保氏も長男の朝勇氏も戦争で亡くなりましたが、
残された妻・ツルは親類、知人とともに戦後、酒造所を再開、
一日も休みなく、酒を造り続け、昭和33年には合資会社となりました。
しかし、昭和50年代に入ると大手酒造所に押され、販売不振に。
昭和57年にやむなく休業しますが、
平成3年、9年ぶりに醸造再開、現在に至っています。
それでも少人数で手作りの「国華」、現在の工場で貯蔵できるのは
大手酒造メーカーの2日分の出荷量にも及ばないそうです。
見学の最後に、屋敷の最も格の高い部屋、一番座で、
今、手に入る何本かの「国華」を見せて頂きました。
昭和のはじめから数々の歴史をくぐりぬけてきた国頭の華のような泡盛。
新しいステンレスタンクで寝かせたもの、
昔ながらの甕で寝かせたもの、
度数が高いもの、低いもの、
造りたてのものに、3年以上寝かせた古酒(クース)。
赤瓦の酒造所すべてを見た後だけに、どのお酒にも物語を感じて、
迷いに迷いながら、スタンダードな43度の小さめの瓶と
48号甕で熟成された3年古酒をおみやげに買いました。
沖縄のちいさな秋を訪ねる旅、初日にして思い出深い収穫を手にしました。
酒作りは24時間気が抜けない仕事。
夜の一人作業が多い秋山さん、最後に不思議な体験を教えてくれました。
「僕もまったく、そーゆーの見えない体質なんですが・・・」
と前置きしたうえで、
「庭のあの大きな黒檀の木、見えますか?
どうやら、いるらしいんですよね~、キジムナー」。
夜中の作業中にコンセントが急に抜けたり、電気が点滅したり、
子供がするような可愛いイタズラを何度も体験したそうです。
キジムナー。
沖縄で信じられている一種の妖怪。
赤い髪、赤い顔をした子供の姿で、古い木の穴に住むという。
いたずら好きで人間が寝ているとちょっかいをかけたりするらしい。
「この座敷で土地のおじいたちがよく宴会してたんですけど、
昨夜は寝れんかった~、
キジムナーうるさくってな~って、よく言ってましたね~」。
この広い屋敷の雨端(縁側)をバタバタ走りまわっていた、らしい。
おや?池の向こうの古い黒檀の木の陰に
真っ赤な髪の子供がニヤッと笑ってこちらを見ているような・・・。
そんな錯覚が錯覚とは思えなくなる赤瓦と黒麹と華の酒の家。
平成17年にはこの建物と酒造りを残したいと
市民有志による「津嘉山酒造所保存の会」が発足、
この赤瓦の酒造所の魅力と価値を伝えるために
見学会や展示会、コンサートや講演会などを催しているそうです。
美ら海水族館方面へドライブすることがあったら、
ちょっと寄り道してみませんか。
「ひんぷんガジュマル」から車で3分、歩いた方が迷わない(笑)場所、
名護の大通からひとつ入ったスージグワに面して立派な赤瓦の建物があります。
お化粧直しした「津嘉山酒造所」が華の酒の香りとともに
沖縄の色々な物語を教えてくれることでしょう。
いたずら好きのキジムナーも
待っているかもしれません。
(写真は)
赤瓦と黒麹の家が見つめてきた歴史の一部。
鴨居に残る占領軍の「OFFICERS QUARTERS」の文字。
無造作なアルファベットの向こうから
コーヒーと煙草とベーコンエッグの匂いが漂ってくるようだ。

