生まれ変わったら
「来世は旦那じゃなくて子供に生まれたい」。
何と哀切と愛情に満ちた言葉でしょうか。
「出来の悪い子ほど母親は可愛いんでしょ。
だから、ずっと、可愛がってもらいたい・・・」
最愛の妻を亡くしたダンカンさんが振り絞るように語る姿をTVで観て
朝から胸が詰まりました。
「彼女の宝物」という3人のお子さんとともに弔問者の前に立ち、
乳がんによって47歳の若さでこの世を去った妻への思いを吐露する夫。
今度、生まれ変わったら、彼女の子供になりたい。
亡くなった奥さまがどれほど愛情深い妻であり母であったかを物語ります。
一家の太陽のような人を喪う悲しみの深さよ。
朝の「おはよう」に始まり、「いただきます」「ごちそうさま」、
「いってきます」「いってらっしゃい」に「ただいま」「おかえり」
そして夜には「おやすみなさい」。
そんな日常の挨拶は当たり前だと思っているけど、
それは挨拶を返してくれる人がいつもそこにいてくれるから。
日常の風景の中で空気や水や太陽と同じようにいつも存在するから。
でもそれは当たり前なんかじゃないんだ。
「そうか、もう君はいないのか」。
作家城山三郎さんの遺稿を再編集して出版された半生記のタイトルです。
最愛の妻を亡くした喪失感と老作家の妻への愛情が
題名に象徴された作品はのちにドラマ化もされています。
書名をはじめて目にした時も
ダンカンさんの言葉と同じような思いにとらわれました。
いつもあると信じて疑いもしない存在を喪ったら、
きっと、自分も、茫然と立ち尽くして、
「そうか、あなたは、もういないのね」とつぶやくんだろうなと。
人は大事な存在を喪った時、
悲嘆のどん底でのたうち回り、彷徨い、嘆き、やがてそれにも疲れ、
そうか、と事実をゆっくりゆっくりゆっくりゆっくりと受け入れ、
もしも生まれ変わったらと、あえかな夢想を繰り返す。
もう一度プロポーズをしようと思う人。
初恋の頃からやり直そうと思う人。
あなたの子供に生まれたいと思う人。
我が夫婦の場合はどうだろう?
う~ん・・・そうだな~。
やっぱり生まれ変わっても、「親友」でいたいな。
わざわざ口に出して「一番の友達」なんて言ったこともないけど、
わざわざ口に出す必要もないのがホントの「親友」なんだと思う。
「親友」はお互いの友情を確認する必要なんてない。
「あいつに会えたことが誇り」。
作家の伊集院静さんが今朝の新聞記事でそんなことを語っていました。
「友情というのは家族愛とか恋愛と比べても
かなり上等な部類の精神」とも。
自分は大したことないかもしれないけど、
あいつと会えたことがけっこう自慢。
お互いにそう思える夫婦もけっこう素敵なもの。
そんなことをつらつら思う土曜日の朝。
書斎代わりの子供の学習机で朝刊を熟読する夫に
コーヒーでも淹れなおして持っていこうかなんて
ちょっと殊勝な気分になったりする。
ジョートーな「親友」は、大事にしなきゃ(笑)。
(写真は)
ウチの「親友」がイタリア出張で仕入れてきたお菓子のひとつ。
ジェノバ産のクッキーボックス。
水色の箱は開けてびっくりのあげ底包装(笑)。
箱の割に慎ましい中身ではありましたが、
クッキーそのものの味は悪くありません。
まあ、ジェノバの空気を詰めてきてくれたと思えば
それもまた味わい深い。
今朝二度目のコーヒーに添えましょうか。

