根岸のちっちゃな家

ここまで冷えなくてもよかろうに。

昨日から降り続く雨に朝から強い風まで吹きつけて

「リラ冷え」ならぬ「リラ嵐」と呼びたいような土曜日。

今が見ごろのライラックの花も紫の花吹雪となってしまいそう。

こんな初夏の風景をあの人ならどう詠んだのでしょうか。

正岡子規。

皐月の江戸ぶらり散歩の根岸編。

子規が愛した「羽二重団子」もあんと焼き二本をしっかり堪能し、

終生の地となった旧居「子規庵」を目指します。

江戸の昔から文人墨客が多く住んでいた風流な下町は今も静かな住宅街で

連休の真っ只中でも観光客の姿などまったく見当たりません。

地図を見れば、団子屋さんからほど近いところにありそうなのですが、

旧街道から住宅地の中の細い道に入ると、

どこを曲がってよいのやら、見当もつきません。

さあて、どうしよう・・・。

ふと振り返ると小さな買い物袋を提げたおばちゃんが同じ方向に歩いてくる。

その気軽な服装、いでたちは絶対にご近所さんだ。

「あの、すみません、

子規庵っってこの近くだと思うんですけど、ご存知ですか?」

思い切って尋ねてみると、

「ああ、ああ、子規庵ね~、はいはい、

あたしもそっちの方向だから一緒にいきましょ」。

これだから下町は好きだ。人の温かさが沁みる。が、下町は正直だ。

「そうそう子規庵ね~、でも、ただの、ちっちゃな家ですよ」。

へ?ただの、ちっちゃな家(笑)。

すこ~んと出鼻を気持ちよくくじかれながも食い下がる私。

「そ、そうですかぁ、

ず~っと行きたいと思いながらなかなか来られなくて、ようやく。

(念願の子規庵だっつーの、ただのちっちゃい家かよ、笑)

「今、子規が大好きだった羽二重団子も食べてきました」

「あ~、あそこのお団子ね~、別に普通だけどね~」

(おばちゃん出鼻くじき攻撃2連発)

「えっとぉ・・・もっと美味しいお団子でもあるんですか?」

(団子話は看過できない私)

「いえね、あそこのも美味しいけどね、

ただちょっとたっかいでしょ、お団子一本にしてはね」

はいはい、なるほど。毎日のおやつにはちょっと高級なお値段ではありますわな。

「ただのちっちゃな家」に「別に普通の団子」か。

文学散歩気分マックスのつかのま散歩人と

下町根岸に暮らすおばちゃんの生活感とのギャップに思わず微苦笑、

これだから、ひとりぶらり散歩はやめられない。

犬は歩けば棒に当たるが、人は歩けばエピソードに当る。

なんて短い会話を交わしているうちに、

ほどなく趣のある「ただのちっちゃな家」が見えてきました。

俳句、短歌の革新者正岡子規が命の炎を燃やし尽した旧居。

周囲の住宅にそっと融け込むように質素に佇む「子規庵」は

確かに木造の小さな家でした。

「ありがとうございました。ほんとに、小さなお家ですね」

「でしょ?でもこのあたりは谷中霊園とかさ、いっぱい回るとこあるから、

色々楽しんでってちょうだい、ねっ」

おばちゃんは根岸界隈の実に正直な広報担当でもありました。

慶応3年(1867年)9月17日松山に生まれた正岡子規。

本名常規(つねのり)、幼名処之助、のち升(のぼる)と改めます。

16歳で政治家をめざして上京しますが、

明治22年の喀血後、子規と号し、俳句に熱中、

日清戦争の従軍記者として旅順に渡った帰還船艦中でさらに大喀血、

新聞記者としての活動は断念、創作に意欲を燃やしていきます。

雑誌「ホトトギス」の刊行に携わり、

「歌よみに与うる書」で短歌の革新も始めるも病状は進み、

カリエスとなって病苦も更に加わりますが、

この小さな上根岸の家で句会、歌会、写生文の会を数多く開き、

文学の近代化のために精力的に情報発信し続けました。

元々は旧加賀藩前田家の下屋敷の侍長屋で

二軒続きの一軒であったと言われているこの小さな家に

明治27年、子規は故郷から母と妹を呼び寄せて移り住みました。

その8年後、明治35年9月19日、誕生日の二日前、

34歳11カ月でその短くも激しい生涯を終えた正岡子規。

残された数々の作品に触れるたびに

小さな家から一歩も出ることもかなわなくとも

創作の翼は無限なのだと感動していました。

ノボさん、多くの友人知人に愛されたあなたの

生きる源のすべてが

この「ただのちっちゃな家」に在るのですね。

つましくも美しい小さな家の小さな門をそっとくぐって、

ノボさん、

お邪魔します。

「子規庵」の様子は明日詳しく。

(写真は)

東京下谷上根岸八十二番地

正岡子規さん宅前にて。

(撮影は例のおばちゃん、ありがとう)

空襲で焼失しましたが、

昭和25年弟子たちの努力で再建され

財団法人子規庵保存会が維持保存、公開運営。

誰でも子規さんちを訪れることができます。