文人団子散歩
真夜中にふと耳慣れぬ音で目が覚めました。
サー、窓の外から聞こえるその音は、久方ぶりの雨。
ここのところの好天続きで雨降りの音を忘れていました(笑)。
朝になっても雨はやまず、気温もやや低め、リラ冷えの雨か。
ほっ・・・白樺花粉攻撃もきょうは雨天休止。
さあ、鼻も目も安心して、皐月江戸散歩の最終日のお話を。
五月のガーデンウェディングを挟んだつかの間のショートトリップ、
浅草、銀座とひとりぶらり散歩を楽しみ、
あっという間に迎えた最終日も朝から五月晴れに恵まれました。
夕方5時過ぎの帰りの飛行機まで半日ほど時間があります。
大好きな「谷根千散歩」と洒落こみましょう。
とはいえ今回は短期決戦、目的を絞らねばなりません。
よし、ターゲットを根岸界隈にロックオン。
めざすは正岡子規が晩年を過ごした旧居「子規庵」であります。
いつも谷中方面で楽しく買い食い(笑)している間にタイムアップ、
なかなか足を伸ばせなかった根岸エリアを探索してみましょう。
日比谷公園前のホテルに荷物を預けてJR有楽町駅へ。
休日の山手線は同じ混雑でもどこか長閑さが漂っています。
車窓から見える新緑の街景色の下町度数がどんどん高まったころ、
日暮里駅で電車を降ります。
谷中方面へ向かう人の群れとは反対に日暮里駅南口へ。
JRの線路を挟んで東側、根岸界隈は連休の観光客の姿もなく静かなもの。
昔は川と山に囲まれた風光明媚な地で
江戸時代は武家、商家の寮や文人墨客の住まいが多かった土地柄、
下町といってもどこか風流なイメージが漂います。
南口を出ると目の前の和菓子屋さんの大福がガラス越しに誘惑してきます。
おっと、あぶないあぶない、ここで浮気してなりませぬ。
この昔ながらの細い街道沿いに、あの団子が私を待っているのだ。
「芋坂も 團子も 月のゆかりかな」
子規
34歳でこの世を去るまでの晩年の十年間、
この根岸に居を構えた正岡子規も愛した名物団子
「羽二重団子」本店が見えてきました。
文政2年(1819年)、日暮らしの里、呉竹の根岸の里は音無川のほとり、
ここ芋坂に初代庄五郎が藤の木茶屋を開業、
街道を往来する人々に自慢の団子を供したところ、
その団子がきめが細かく羽二重のようだと評判を呼び、
いつしか団子の名前も屋号も「羽二重団子」となりました。
190年に渡り、江戸の風味と面影を受け継ぐ老舗であります。
新緑の植え込みも清々しい町屋風の店の角から
なるほど細くなだらかな小さな坂道が伸びています。
これが子規も詠んだ善性寺の門前に通じる「芋坂」。
建物の角には「王子街道」と刻まれた石の標識が。
江戸時代の旅人はここで草鞋を脱いで旅の疲れを癒したのですね。
ならば平成のぶらリ旅人もJRから降りたばかりですが、
団子で一服と参りますか。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」。
白い上っ張りも清潔なお店のおばちゃんが笑顔で出迎えてくれます。
黒光りする昔ながらの算盤や物入れなど
江戸からの商いを物語る小道具が置かれた店内には
夏目漱石、正岡子規、司馬遼太郎などなど、
数々の文学作品、文人たちとのゆかりを表すたくさんの資料類が
「ご興味あればどうぞ」てな感じでさりげなく飾られています。
青葉が美しい小さな庭を望める席に陣取り、まずは注文。
「お団子一皿、下さい」。
数々の文人墨客を虜にした羽二重団子は是非とも二本一組で。
「お待たせしました~。あんことお醤油一本ずつですね」。
小さな黒塗りの四角いお盆に
急須に入ったお茶とともに「羽二重団子」の朱印も鮮やかなお皿に団子が2本。
焼き目も香ばしそうな江戸好みの生醤油の焼き団子と
渋抜き漉し餡にくるまれた餡団子の完璧なコンビネーション。
う~、どっちから食べよう。醤油かあんこか。
どうでもいいが、どうでもよくない逡巡の末、まずは餡団子からぱくり。
ほほほほほ。笑みがこぼれる。破顔一笑とはこのことか。
甘さ控えめの上品な漉し餡の中心に羽二重の小宇宙が隠れていた。
その優しい味に陶然となりながら、すかさず焼き団子をぱくつく。
う~む、やられた。潔い生醤油の香ばしさがすっきりとフィニッシュを決める。
あん団子と醤油団子、二本一組で美味しい宇宙が完成するのだ。
それは天地創造の団子。
あんこと生醤油の衣装をまとった団子は
光沢と粘りとシコシコとした心地よい歯ざわりが身上。
よく吟味した米の粉を丁寧について丸めて
ちょっと平たくして串にさされています。
そのえくぼのような窪みがまた愛らしい。
眺めているだけで気持ち安らぐヴィジュアルも
時代を超えて長く愛される所以かもしれません。
お土産用にもう一皿包んでもらって、さてお勘定とレジに向かうと、
何やらナンバリングされた資料一覧の紙があります。
「羽二重団子」とゆかりのある文学作品や作家についての資料が
30数編用意されていて、一人一枚無料でコピーを頂けるとのこと。
文人墨客に愛された風流な根岸らしい、なんて素敵な「おもてなし」でしょう。
迷わず「正岡子規と当店」なる一編のコピーを所望し、読みながら
細い旧街道沿いをぶらりぶらぶら、
明治35年に亡くなるまでの終の棲家となった「子規庵」に向かいます。
この芋坂からほど近い上根岸八十二番地に正岡子規は住んでいました。
資料には亡くなる1年前の明治34年9月4日の日記の抜粋が描かれています。
『芋坂団子を買来たらしむ(これにつき悶着あり)
あん付き三本焼一本を食う』
「多分「悶着」とは妹の律さんと当店の団子のことで
言い争いがあったのであろう」
そんな注釈が添えられた「団子屋さんの文学資料」は実にほほえましい。
病に臥しながら鬼気迫る創作欲を支えたのは
子規の旺盛な食への渇望だったのか。
「律、何でこれしか買ってこなかったんだ。
もっともっと、俺は団子を食いたかったのに」。
静かな根岸の住宅街から
ふと、そんな口惜しそうな声が聞こえた気がした。
ねえ、ノボさん。
明治34年の9月4日、兄妹喧嘩の原因は団子の本数だったのですか。
もっと書きたい。もっと詠みたい。もっと生きたい。
この頃から死の直前までの日々を赤裸々に綴った「仰臥漫録」には
朝からぬく飯三碗、昼に粥三碗、間食に菓子パン大小数個、
夜には与平鮓二つ三つに粥二碗、まぐろの刺身、煮茄子、
葡萄一房、林檎二切、飴湯・・・
すさまじいまでの食欲の記録が毎日毎日綴られています。
「もっと喰いたい」。
それはあなたの生への渇望だったのでしょうか。
あなたが妹と悶着起こすほど愛した団子を頬張って、
まもなくお宅に到着できそうです。
あなたの世界のすべてだった小さなお庭には
皐月の季節、どんな花が咲いているでしょうか。
芋坂の 団子屋寝たり けふの月
芋坂の 団子売る店にぎはひて 団子くふ人団子もむ人
正岡子規
(写真は)
文人に愛された「羽二重団子」。
「芋坂へ行って團子を食いましょうか。
先生あすこの團子を食ったことがありますか。
奥さん一辺行って食って御覧。柔らかくて安いです。酒も飲ませます」
夏目漱石も「吾輩は猫である」の中で絶賛しています。
現在は一本263円。
毎日のおやつにしては「安いです」とは言いにくいが(笑)、
根岸散歩の折には賞味の価値ありの名物団子であります。
ぜひ餡団子と焼き団子一対で御注文を。
二本で一組、ま、夫婦団子みたいなもんか。

