寺町と大福
かすかにお線香の匂いが漂ってくるしんとした細い路地。
ふっとすれ違った黒い装いの老婦人は数珠を手にしていた。
法事帰りだろうか。
そうだ。ここは70余りのお寺がある寺町、谷中。
寺があれば墓がある。
寺社や墓地に携わる工匠や信心深い人々が静かに暮らす町。
数年前はじめて訪れた谷中はお線香と供花の清々しい香りがした。
江戸の面影を残す寺町の連休はどんな様子なのだろう。
皐月のぶらり江戸散歩の「谷根千」編。
文人墨客に愛された根岸の「子規庵」をおいとまし、
寛永寺陸橋をてくてく渡って谷中方面へ向かいました。
夕方の飛行機で札幌に戻らなくてはなりませんから
時間を考えながら、ざっくり残りのコースを検討。
う~んと・・・言問通りから上野桜木方面へ出て初音の森をまわって
谷中銀座を抜けて夕焼けだんだんでゴールというところか。
どれどれ、まずはお寺巡りとまいりましょうか。
言問通りに出てまもなく大きなお寺が見えてきました。
石地蔵で有名な浄名院です。
初夏の陽気に恵まれた連休、やはり法事が営まれているのでしょう、
境内の離れには「○○家ご休憩処」と書かれた案内の張り紙が。
壇家の皆さまのお邪魔にならないよう、そっと静かに境内の奥へ。
おおお~、これは壮観。
無数の四角い石地蔵がずらりと四方に並んでいます。
その数およそ五万体とか。
明治9年(1876年)に住職となった妙連和尚が仏恩に報い民衆を救うため
八万四千体の石地蔵建立の大誓願を打ち立てことにより、
今もなお地蔵が奉納され続け、その数は五万体に及ぶとも。
古い石地蔵は刻まれた文字も風化して判別できないものありますが、
苔むした地蔵の側面に「明治・・・」と読み取れました。
明治、大正、昭和、平成と人々の祈りをこめて奉納されたお地蔵さんたちは
いくつもの戦争、いくつもの災害をじっと見続けてきたわけで。
「この国の平和をどうぞよろしくお願いします」とそっと手を合わせ、
無数の石地蔵が居並ぶ浄名院を後にしました。
さてと、谷中方面へ向かうとしますか。
のんびり足を進めるうちに、人通りがやたらと増えてきました。
長閑なぶらり散歩も微妙に変化の兆しが。
明治43年築の吉田酒店を移築した台東区立下町資料館前は人だかり。
お向かいの「カヤバ珈琲」の前には大行列ができています。
昭和13年開業の昔ながらの木造家屋が郷愁に満ちた喫茶店。
谷根千散歩の至福のお茶処ではありますが、
まさか行列しないと、この店のミルクセーキにありつけないとは。
甘かった。世間の連休を、舐めていた。
若いカップルにベビーカーを押したファミリー、
賑やかなおばさまご一行等々、
谷中霊園方向へ向かう細い道はすれ違うのもやっとの大混雑。
甘かった、世の中の「谷根千ブーム」を実に甘く見ていた。
寺に墓地に路地裏など小さな子供連れには退屈な町かと思いきや、
そうでしたね~、寺社仏閣が多いということは、
古くからのおやつグルメも発達しているのでありました。
お煎餅に甘いもん、買い食い天国「谷根千」、そりゃ楽しいよね。
行列の「カヤバ珈琲」からちょっと歩けば「愛玉子」の看板。
サトウハチロー、東山魁夷など多くの著名人も愛し台湾甘味の店。
「愛玉子(オーギョーチー)」は台湾の玉山山麓に自生する植物の種子で
造られた寒天風のデザート。
おそらくここでしか食べられない幻のスイーツ。
あっさりしたシロップのかかったプルンとした舌触りが爽やかですが、
以前にも食したのと、この混雑では先が案じられそうなので今回はパス。
しかしお向かいの大福だけはあきらめるわけにはいかない。
「愛玉子」の真向かいに佇む年季の入った建物が既に美味しい(笑)
豆大福の名店「谷中岡埜栄泉」です。
上野駅前にある「岡埜栄泉総本家」から暖簾分けされた老舗。
明治33年創業当時そのままの趣のある店構えが寺町によく似合います。
あまりに風格ある建物と古色ゆかしい看板に気後れしそうですが、
ここのお店のお姉さんの対応がいつも気持ちいい。
「良ければ買わせていただけますか」と客がへりくだってしまいそうな
老舗にありがちな構えたムードがいっさいありません。
「いらっしゃいませ~、何にします~?」
「えっと・・・豆大福は日持ちどれくらいでしたっけ?」
「ああ、今日中に召し上がって下さいね~。明日食べても大丈夫なんですけど、
混ぜ物なんにもしてないから、うちの大福餅固くなっちゃうんですよ、
だから今日中」
はい、了解。
気持ちよく、夫と私のお夜食分、2個入りの小さな箱を買う。
「持ちにくいけど、横にしないであげて下さいね」
はい、了解。
豆大福思いのお姉さんの言いつけを守って、小さな包みを手にして、
さて大混雑の谷中散歩を続けます。
あの角を曲がったあの塀も今日は人だかりなのだろうか。
大好きな江戸スポットめざしてお散歩は続きます。
(写真は)
豆大福の名店「岡埜栄泉」はいくつかのお店に分かれていますが、
谷中のお店は建物も美味しい(笑)
あくまでも柔らかなお餅と
塩がきいたこしあんが、実に野宮好み。
自制心がなければ、三個は食べられる。

