天地のお庭
世の中は連休を楽しむ人々で大賑わいの休日。
その小さな木造の家の前に立った瞬間、
ふと明治の気配がしました。
妹律さんが病床の兄のためにこしらえた味噌汁の香りが
鼻先をかすめたような錯覚さえします。
ノボさん、北海道からやってきました。
お邪魔しますね。
皐月のぶらり散歩根岸編。
ここは正岡子規終生の家「子規庵」です。
旅順から帰艦途中に大喀血をした子規は
明治27年故郷から母と妹を呼び寄せ、
前田家の御家人の二軒長屋の一軒だったこの家に移り住みました。
小さな庭がついた木造の日本家屋は
今の間取りでいうと八畳、六畳、四畳半に小さな次の間・・・
そう3.5Kというところでしょうか。
子規庵保存会によって維持運営、公開されていて
玄関で入場料500円を払って、靴を脱ぎます。
ああ・・・気持ちいい家だ。
よく晴れた爽やかな青空が心地良い休日。
小さな玄関も縁側も部屋の窓も開け放たれた家の中は
五月の風が静かに吹きぬけて、
遠くから電車の音がかすかに聞こえる以外は
草木のそよぐかそけき気配だけ。
静かだけれども居心地がいい。
初めてお邪魔したのに、
妙にくつろげるお家ってありますよね。
「子規庵」正岡子規さんちは、
ついつい長居をしてしまいたくなる
そんな気持ちのいい家でした。
足の裏に触れる畳の感触を楽しみながらまずは八畳間へ。
初夏の草花が清楚に咲き乱れる小さな庭に面した縁側に
ノボさん気分で座ってみます。
「ごてごてと草花植えし小庭かな」と
子規がかつて愛情込めて自虐的に綴ったお庭。
全然、ごてごてなんかじゃないですって。
大正昭和平成と時代は移り、
あちらこちらから色々な種が飛んできて
あなたが愛でたお庭とは風情が多少変わっているらしいですが、
それぞれが素直に闊達に命を謳歌しているこの庭は
今流行りのナチュラルガーデンでもあります。
この心地よい子規さんちにとてもお似合いですよ。
縁側のある部屋の隣。
よく磨かれたガラス戸から
五月の陽射しがこぼれる質素な六畳間。
正岡子規「終焉の間」と書かれた小さな札に
目と心が吸い寄せられました。
ノボさん。
あなたはここで詠み、描き、語らい、論議し、
あなたはここで病み、臥し、食い、苦しみ、
幾つもの眠れる夜を過ごし、
そして決して目覚めぬ眠りについたのですね。
家具のない部屋にひとつだけ、
在りし日の子規を偲ぶよすががあります。
子規が特別に注文したという愛用の机。
引き出しもない簡素な机の手前の板の一部分がくりぬかれて、
本一冊分ほどのコの字型の空間ができています。
カリエスも患いまっすぐ伸ばせなくなった左膝をそこに入れるため。
何と痛々しい工夫でしょうか。
机の上には硯と筆箱がきちんと置かれていて
今でもあるじを几帳面に待っているかのよう。
「ごめんね、ノボさんじゃないけどね」
そっと右の足を伸ばし、くりぬかれた空間に曲げた左の膝を入れて
机の前に座ってみました。
中途半端な体育座りの体勢は
筆を持とうするとかなり前かがみになり、
NHKドラマ「坂の上の雲」で香川照之が演じた
鬼気迫る晩年の創作場面が蘇ってきます。
前のめりの子規の眼前に広がるのは
あの「ごてごてと草花植えし小庭」であります。
雨の日でもガラス戸だからいつでも眺められました。
この病間の障子がガラス戸に変わったのは明治32年の冬。
外出が自由にならない子規のために
庭が病床からでも良く見えるようにと
「ホトトギス」の友人たちが当時はまだ珍しく
高価な輸入品だったガラスを贈ったのでした。
「果たして温かい、果たして見える。
見えるも見えるも庭木も見える。杉垣も物干し棹も見える」
子規の喜びは友人たちの喜びでもありました。
「小園の記」には例の「ごてごて・・・」の一文に続いてこうあります。
「病いよいよつのりて足立たず門を出づる能はざるに至りし今
小園は余が天地にして草花は余が唯一の試料となりぬ」。
小さな庭は私の天地である。
病床日記である「仰臥漫録」を読めば
どれほど心身共に苦痛に満ちた
闘病の日々であったかは明らかですが、
それでも尚、私は正岡子規という人の
突き抜けたポジティブ思考に深く感動します。
単なる楽観主義とか逃避ではなく、
あるがままの自分を血反吐を吐きながら受け止め、
己の目に映るすべてを寸分漏らさず観察し尽くし、
表現し尽くしてやろうとする姿。
「世界一周などしなくても
宇宙船などに乗らなくても
天地の果ては、宇宙の真理は、わかるんだぜ」。
ガラス戸の向こうの庭先から
ノボさんのそんな声が聞えたような気がしました。
旺盛な創作欲に燃える30代の青年が
不死の床につかねばならない悔しさ、絶望感は想像を絶する。
なのに「小園は天地」であると吹き飛ばす文学者の魂。
これほど凄まじいポジティブ思考があるだろうか。
机に置かれた「子規庵ノート」には
「あなたの宇宙を見ました」と書きました。
上根岸の小さな家の六畳間。
そこは病室であり、書斎であり、句会歌会の場であり、
夏目漱石、森鴎外、中村不折、高浜虚子、
河東碧梧桐、伊藤左千夫、長塚節、与謝野鉄幹等々、
大勢の友人、知人と語らうコミュ二ティサロンであり、
日本の近代文学の原点のひとつでありました。
明治35年9月19日午前一時頃。
余が天地と愛した庭の糸瓜もたわわに実る季節に
正岡子規は永遠の眠りにつきました。
享年34歳と11カ月。
ノボさん、天国のお家はどんな間取りですか。
縁側からは何が見えますか。
天から見える今の地上、どう思いますか。
あなたの鋭い写生の心には、何が映りますか。
をとゝひの へちまの水も 取らざりき
糸瓜咲きて 痰のつまりし 佛かな
痰一斗 糸瓜の水も 間にあはず
子規絶筆三句
いつか糸瓜実る9月にまた訪れよう。
糸瓜忌のお庭はどんなだろう。
ノボさん、
お邪魔しました。
(写真は)
小園から見た終焉の間。
子規愛用の机とガラス戸に映る草花の美しさ。
置かれた場所で無限の宇宙を見出す魂の力。
あきらめちゃ、ならんですね。
何事も。
じたばたするですよ。
じたばた、生きるっす。
何だか、ものすごく、力が出てきた。

