銀ブラ物語
きょうは母の日。
一年で一番花屋さんがてんてこまいの日曜日です。
私もいつもの花屋さんに注文しておいたアレンジメントを
午前中に自分デリバリーしなくては。
いくつになっても娘として感謝の気持ちを忘れずに、ね。
この日曜日は花の銀座もおでかけの母娘で賑わいそう。
青葉の五月は銀ブラにお似合いの季節です。
さて皐月の江戸散歩。
新緑のガーデンウェディングで幸せなメイブライドを祝福した後は、
パーティードレスとハイヒールをぺたんこのモカシンに履き替えて
日比谷公園前のホテルから夕暮れの銀座へぶらり散歩へ。
緑の蔦に覆われた風格ある校舎が左に見えてきました。
明治11年(1878年)創立の泰明小学校、
島崎藤村や北村透谷も学んだ名門校のお向かいには
初夏の日差しをいっぱいに浴びた気持ち良さげなオープンカフェ。
遅いランチや新聞、雑誌を眺めながら早めのハッピーアワーを楽しむ姿は
その活字が日本語でなければ、まるでパリの下町のような風情です。
夕暮れ迫る銀座を一人ぶらりぶらぶら。
とりあえず今宵の目的は正真正銘の「銀ブラ」体験。
現存する日本最古の喫茶店で一杯の珈琲を飲むのであります。
明治44年(1811年)当時の京橋区南鍋町(銀座6丁目)裏に
「ブラジルサンパウロ州庁専属カフェーパウリスタ」が開店しました。
白亜三階建てに南米風を加味した画期的なスタイル、
この「銀座のカフェーでブラジルコーヒー」を飲む、ことから
「銀ブラ」という言葉が生まれたと言われています。
現在は銀座8丁目中央通りに移転していますが、
コーヒーカップやスプーンは昔のままを復元、
壁紙や鏡、真っ直ぐな背もたれのソファーなど昔の面影をとどめ、
銀座のビル群に自然に溶け込む古色蒼然とした店構えが
明治、大正、昭和と知識人、文化人に愛され、
モボ・モガが集った往時のコーヒー文化サロンの雰囲気を偲ばせます。
「ここだ」。カランと店の扉を開けると、夕方6時過ぎの店内はほぼ満席。
「おひとりさまですか?どうぞ、奥のお席が空いております」。
にこやかな笑顔のウェイトレスさんがさっと速やかに席に案内してくれる。
こんな店のコーヒーが美味くないわけがない。
鰻の寝床のような奥行きのある店内を席へと歩きながら
100余年の歴史が刻まれたコーヒー文化の余韻を五感で確かめる。
カップやスプーンが触れあう軽やかな音、
少しばかり高揚した話し声やひそやかな笑い声、
鼻をくすぐるコーヒーの芳香、あるかなきかの寄りそうような音楽、
すべてが混然一体となってほっと心安らぐコンチェルトを奏でます。
「珈琲の香にむせびたる夕べより
夢見る人となりにけらしな」 吉井勇
「銀ブラ」発祥の店は初めてのお客も心安らぐ空間でした。
初代の水野龍は大隈重信の支援を得て
明治中期、ブラジルへの移民政策が勧められるさなか、
日本におけるブラジルコーヒーの普及事業の拠点としてこの店を開業しました。
開店の日、水野は「今日皆様に供する一杯は日本移民の労苦がもたらした収穫物で
この一杯にはその汗の結晶が浸け込んでいる。準国産品ともいえる」
そう演説し、喝采を浴びたと伝えられています。
厚手のカップ一杯の値段は五銭。
大理石のテーブルには陶器の砂糖壺と灰皿、パリ風の曲げ木椅子、
米国風のドーナッツやフレンチトースト、サンドイッチを供し、
横浜から持ち込んだ米国製の自動ピアノからは
カルメンやメリーウィドウが流れる「カフェー・パウリスタ」は
日本移民の汗の結晶である産物を普及させるための
当時の最先端アンテナショップだったのです。
やるな~、水野氏、明治男のプロデュース力が光ります。
当時、周辺には新聞社や外国商館が集中していて
パウリスタは文化活動の一拠点となっていきます。
文学の世界では吉井勇、菊地寛、芥川龍之介、久保田万太郎、獅子文六等、
画壇では若き日の藤田嗣治、演劇界では小山内薫など
多くの文化人たちがこぞってこの店に集まり、
「遠い異国特産の珈琲の甘い舌触りとその高い芳香に
二十世紀の新時代に対する抱負を語りあいました」と店の栞に記されていました。
久保田万太郎は三田文学の仲間と連日この店に出没、
「われわれは開店当初からこの店を愛用した。
われわれの銀座に出るということは、その店で三十分でも、一時間でも
時間をつぶすということだった」と文学青年時代の思い出を記しています。
「銀ブラ」=「カフェパウリスタで珈琲」説を裏付ける証言ですね。
「おまちどうさま、森のコーヒー(ブラジル)です」。
目の前に乳白色のカップに入った一杯が運ばれてきました。
あくまでも熱く、黒く、深く、力強く、香り高く。
慌ただしい朝に流し込むアメリカンとは次元が違う。
コーヒーではなく、あくまで珈琲と書きたくなる存在感がある。
この一杯を飲むものは、
一編の詩、一首、一句などひねり出さねばなるまい(笑)。
そんな思索を誘う銀座のブラジル珈琲。
真っ直ぐな背もたれの後ろ側では
テレビかどこかで見た顔が女性マネージャーと向かい合って
何やらさっきから厳しく深刻な面持ちで仕事の話を続けています。
中堅どころのお笑い芸人さんだったかなぁ。
ま、見て見ないふり、知らないふり、気づかないふりに限ります。
ここは大人の街銀座の100余年続くカフェ。
「銀ブラ」楽しむならば大人のたしなみは欠かせません。
平成銀ブラ物語。
パウリスタの珈琲を飲んでいると
小説のひとつも書けそうな錯覚さえ覚える
このひとときにはそんな不思議な力がある。
スマホより原稿用紙と鉛筆が似合う店。
銀座にはまだ残っています。
(写真は)
「カフェー・パウリスタ」の一杯。
開店当時、給仕は海軍士官の正装を模した
白い上着に黒いズボンの清潔な少年たちを揃え、
シルクハットに燕尾服のサンドイッチマンが銀座通りで宣伝しました。
謳い文句が秀逸。
「鬼の如く黒く、恋の如く甘く、地獄の如く熱きコーヒー」。
銀ブラの際には是非一杯。

