桜人の季節
この週末は東京あたりはお花見日和のようです。
通っていた大学のまわりもきっと今頃は美しい桜が咲いているはず。
・・・えっと・・・咲いて、いたっけ?
学生の頃、キャンパスの桜なんて、気にしていたっけ?
しみじみお花見などした記憶がない。
桜に無頓着だった。
若かったんだ。
「齢をとるほどに、桜に近づく」。
かつて作家の赤瀬川原平さんが
こんな題名のエッセイを書いています。
若者はお花見をする時間があったら
未来に向かって動いたり考えたりしたいもの、だから若者に花見なんて無理だ。
でも、年をとればとるほどその未来がはっきり見えてきて、
この世の出口も漠然とわかってきて、
そうすると「今咲いている桜を放置できなくなるのではないか」と。
そうかもしれません。
年々、桜をほっておけなくなる。
桜前線が上陸するはるか前から、
腰まで雪に埋もれた桜の木のそばを通りかかるたび、
寒くはないかと気にかかりブランケットで包んであげたくなる。
ごつごつした幹の樹皮を手袋をはずした素手でそっと撫でたりする。
桜と私、その距離が年々身近になってきた。
月日を重ねるごとに、
人は桜に近づく。
東京に暮らす大学サークルの大先輩は
桜の季節になると「歩き魔」に変身するそうです。
都内や横浜あたりの桜の名所をくまなく歩き回るとか。
若い頃はそうでもなかったのに、年をとったのか、
「いつまで見られるかな・・・と。今年も歩き尽そうと思っています」
そうなのですね。
やはり、人は、年々歳々、桜をほっておけなくなる。
ひと春ごとに、桜と自分が近くなる。
この季節を深く味わえるようになる。
年を重ねるのもまんざら悪くはありません。
今日のAIR-G’「野宮的コフレ」最終回は
そんな「桜とわたし」のお話をお届けしました。
北海道の桜は卒業の春に間に合わないけれど、
せめて心に花束を。
梅につつじに菖蒲に菊。
日本には四季折々美しい花があるけれど、
咲くか咲かぬか、散ったかまだか、どうしてもほっておけない花は桜。
学生の頃見逃していたキャンパスの桜に再会する旅もよし、
まだ見ぬ名桜、古桜、一本桜を訪ねる旅もよし。
昔から桜を求めて歩く人のことを「桜人」と言います。
桜人の季節。
さあ、どこに旅しましょうか。
桜を求めてちょっと遅い卒業旅行も素敵です。
卒業の春
今朝の新聞に日野原重明さんが卒業についてのエッセイで、
日本では「業を卒える(おえる)」と書きますが、
「米国ではコメンスント・エクササイズ(Commencement Exercize)、
つまり、『開始』の『行事』と呼ぶのです」と書いていました。
大学の修了証書は「新たな学び」が始まる重みをもって手渡されるそうです。
卒業式は、始まりの日。
弥生おしまいの週末。
桜咲く街、桜待つ街、風景は違えど、
それぞれの始まりの週末。
桜人は軽やかに一歩を踏み出す。
(写真は)
この春の卒業にいただいた素敵な花束。
窓辺に置いたら、
今朝、雪柳の小さな白い花がほころんでいた。
花が笑った。
それだけで、幸せな土曜日が始まる。

