神様の一服
打撃の神様がこの世の打席を去りました。
「赤バット」の異名で人気を博し、
監督としては巨人V9を打ちたてた川上哲治氏が亡くなりました。
93歳。
「昭和」の野球にピリオドが打たれたような、
大きな大きな喪失感を感じる朝です。
選手としても監督としても偉大な功績を残されましたが、
もうひとつ、子供たちに大きな大きな野球の夢を与えて続けたことを
スポーツファンの一人として忘れられません。
巨人のフロントを離れ、NHK解説者の傍ら、
日本全国で「少年野球教室」を開いて、
子供たちの手をとり足をとり、野球の楽しさを伝えて歩きました。
その当時の川上哲治氏の優しい笑顔が、忘れられません。
あれは学生時代、80年頃のこと。
読める少年野球教室としてミニ新聞を作ることになり、
「早稲田スポーツ」編集部がそのお手伝いを仰せつかり、
川上哲治さんの事務所に通うようになったのです。
タブロイド版の新聞の名前は「赤バット」。
少年野球教室のレポートや予定、怪我をしないための練習法、
健康な体を作る食事などなど、
取材をして、記事を書いて、割り付けをして。
少年たちが野球のことを大好きになってくれるように
願いを込めた新聞「赤バット」が創刊されました。
当時も「監督」と呼ばれていた川上氏ご本人が事務所に姿を見せることは
めったにありませんでしたが、
一度だけ、お茶を出したことがあります。
ある日の午後、事務所のドアが開き、ふらりとやってこられた監督。
すでに歴史上の偉大な存在だった「川上哲治」が目の前にいる。
今の選手たちに比べると、身長は決して大きくはないのですが、
「圧」がものすごかった。
がっしりした肩、鋼のような太い首、眼鏡の奥の射抜くような眼光。
黒澤映画の野武士のごとく、その静かな威圧感に圧倒されたことを
昨日のことのように覚えています。
おどおど、あたふたしながら、
「あの・・・お茶、どうぞ」とお茶托カタカタ鳴らしながら、
お茶をお出しすると、
その野武士のような眼光が一瞬にしてゆるみ、
「おお、ありがとう」
それは穏やかな声で一言おっしゃったのでした。
「打撃の神様」と呼ばれた人の
それはそれは優しい好好爺のような眼差しでした。
子供たちに野球の楽しさを教えたい。
赤バットの芯に秘めていたのは、
あの好好爺のように優しい野球への愛情だったのかもしれません。
選手、監督時代は野球で頭も体も心もいっぱい、
他のことなど入りこむ余裕がなかったと今朝の新聞も伝えていましたが、
あの日の「神様の一服」は希少な小春日和だったのでしょうか。
私は中学・高校時代はバレ-部。でも生来の運動神経の鈍さで、
どうしてもスパイクのタイミングがとれない。
チームメイトのように鋭く速く打てない。
のろまなカメは努力しかない。
来る日も来る日も重い体で飛び上がってはスパイク練習を繰り返していた。
そんなある日、ある瞬間、
セッターの上げたトスが放物線を描いてネットの上に落ちかけたとき、
ボールが止まって見えた。
思い切って腕を振りぬいた。
はじめてスパイクらしいスパイクが打てた。
「ボールが止まって見える」
川上哲治氏の歴史的名言だと、後から知った。
運動神経の鈍い落ちこぼれのバレー部員でも、あることなんだ。
監督。
あきらめなければ、動くボールだって、止まって見えることがあるんですね。
そのあきらめない気持ちを全国の野球少年たちに伝え続けた
打撃の神様の人生の午後の日々を
決して忘れません。
合掌。
(写真は)
今朝の空。
どこまでも青く突き抜ける晩秋の空の上で
打撃の神様は日本シリーズを観戦しているのだろう。
勝負師の眼差しか
好好爺の微笑みか。
それとも
勝利の女神と野球談議に花を咲かせているのもしれない。



