かすていらの旅

「だから、買っておこうっていったのに」。

カステラを食べるたびに母が呟く小さな繰り言です。

私が中学生くらいだったでしょうか。

亡き父の勤続何周年かのご褒美旅行で

夫婦二人で九州一周旅行に出かけたことがありました。

子供たちは留守番、何十年振りかのフルムーン旅。

道中の長崎で老舗のカステラ屋さんに立ち寄り、

本場の一斤を買い求め、おやつ代わりに口にした二人。

ずっしりした重量感さえ漂う贅沢な風味、しっっとりした口当たり。

「こんなに美味しいなんて。ここで買って、家にも送りましょう」。

はやる母に父は言った。

「カステラなんて、どこでも買える」。

旅先で土産物を買ったり送ったりが楽しいのは女で

自分でするわけでもないのに考えただけでめんどくさいのが男。

昭和の夫婦の典型であります。

「送るんだから、荷物にならないでしょ」と食い下がる母、

「買えるって、カステラなんかどこでも。行くぞ行くぞ」、

急ぐ旅でもないのに先を急ぐ父。

後ろ髪引かれながら、しぶしぶ駅へ向かう。

車窓から遠ざかる長崎を眺めつつ、残りのカステラを平らげる二人。

しかし、それが最初で最後の本場長崎のカステラになってしまったのです。

「どこでも買える」はずの本場長崎のカステラは

九州の他の街のどこにも売っていませんでした。

今ほどデパ地下も充実していない時代、

長崎伝統の職人が焼きあげるカステラは

長崎でしかお目にかかれない味だったのです。

「だから、買っておこうって言ったのに・・・」。

九州一周フルムーン旅、残りの道中、

母の小さな繰り言は何度となく繰り返されたことでしょう(笑)。

留守番の子供たちに食べさせたい母の心。

夫婦二人身軽な旅を楽しみたい父の気まま。

二人の遺伝子を引き継いだ私にはどっちの心情もよくわかる。

まあまあ、良かったじゃない。

とりあえず、本場長崎のカステラを味わうことはできたんだからさ。

夫婦喧嘩するほど美味しいカステラだったんだよね。

あれからいくつもの夏が過ぎました。

カステラを買いそびれた父は写真立ての中で苦笑いしています。

頂き物のカステラを切るたびに母は同じ話を繰り返します。

まるで昨日のことのように悔しそうに、美味しそうに、そして懐かしそうに。

喧嘩するほど美味しい長崎カステラ、

坂の美しいその街をいつか必ず私も旅しよう。

カステラなんて

いつでも

どこでも

食べられると思っていた。

今日と同じように

明日が来ると思っていた。

8月9日。

長崎は68年目の夏を迎えました。

北の街では

早朝から涙雨が降っています。

(写真は)

首里の名物まんじゅう。

「のまんじゅう」。

ふかしたての粒あんたっぷりの素朴なおまんじゅう、

熨斗の代わりに「の」と赤くひと筆で書かれてから

月桃の葉でくるんで渡されます。

お盆や法事にもたくさんお供えされる「のまんじゅう」。

城下町儀保のこのお店でしか買えない味。

ご先祖様も一個でお腹いっぱいになる大ぶりのおまんじゅう。

あんこ好きの亡き父にも食べさせたかった、な。