3¢の心
きょう6月12日は「恋人の日」。
発祥地ブラジルでは夫婦や恋人同士で花やお菓子を贈り合う風習がある・・・
と、朝刊に挟まれていたROYCEの折り込みチラシで知りました。
生チョコやポテチチョコ贈りあいましょ♪ということですね(笑)
たとえば、恋する心を伝えるラブレター。
3セントの切手が届けた時代がありました。
復帰前の沖縄のお話です。
昨夜、あるお仕事の打ち上げがありまして、
そのメンバーが奇偶にも沖縄好きが揃ったため、
例の隠れ家店「おいしゅうございます北海道」の沖縄料理コースを楽しみながら
大いに盛り上がったのですが、
その席で、あるメンバーから、大変貴重な切手を譲り受けたのです。
色鮮やかな南国の熱帯魚の図柄が描かれた古い切手。
左上には「琉球郵便」の文字。
右下には「3¢」。
初めて実物を見ました。
「琉球切手」であります。
「琉球切手」
アメリカ軍統治下の沖縄で発行された郵便切手。
1945年から本土復帰の1972年までの間に
250種ほどの琉球切手が発行されました。
日本語で印刷されていますが、額面はアメリカの通貨である「$」と「¢」。
1¢は当時3円くらいだったようです。
調べてみると、私が頂いた3¢切手は
1966年から1967年にかけて発行された
「熱帯魚シリーズ」中の4枚とわかりました。
「ハマクマノミ」「セグロチョウチョウウオ」
「ハコフグ」「モンガラカワハギ」
オレンジや黄色、コバルトブルーの鮮やかな熱帯魚が
沖縄ブルーの海を悠々と泳ぐ図柄。
「琉球切手」の題材には沖縄の自然、歴史、伝統文化が幅広く取り上げられ、
色鮮やかな切手は、現在でも収集家たちの間で
高い人気を誇っているのだそうです。
私に貴重な「琉球切手」を下さった方は
1969年、復帰前の沖縄を仕事で訪問した際に
この熱帯魚シリーズを手に入れたそうです。
当時のぼろぼろの守礼門の写真も見せて頂きました。
今の赤い漆も壮麗な守礼門からは想像もつかない1969年の現実。
木の肌色がむき出しの守礼門の向こうにコンクリートの建物と
幾人かの若者の姿も写っています。
当時の琉球大学と学生です。
現在の首里城のあるところにあった琉球大学は
復帰後、首里城復元計画によって、現在の西原町に移転しました。
写真に写っている若者たちも恋人へラブレターを書いたかもしれません。
溢れる思いを、恋心を、3¢の切手に託した時代がありました。
しかし「琉球切手」は
アメリカが沖縄を占領していた間、沖縄限定で使用された切手。
いわばアメリカの占領切手。
世界の切手収集家が愛読するカタログには、
現在も琉球切手はアメリカ切手の一部として
「Ryukyu Island」のページに掲載されているといいます。
当時も今も、沖縄の海を越えることができなかった3¢切手。
恋心だけじゃない。
青い海を越えて届けたい心が、思いが、いっぱいいっぱいあったはず。
3¢に詰まった心を
私たちは、今も、ちゃんと、受け止めているのだろうか。
4枚の琉球切手。
素敵な横長の額を探して納めよう。
3¢の心を忘れないために。
(写真は)
我が家の宝となる「琉球切手」熱帯魚シリーズの4枚。
奇しくも沖縄復帰40周年だった去年の5月には
復帰40周年を記念する80円切手が発売されています。
10枚綴りの切手シートの図案は
復元された首里城、ゴーヤー、マンゴー、蘭の花、美ら海水族館、
ゆいレール(沖縄都市間モノレール)に離島架橋(池間大橋)。
沖縄への手紙は80円でちゃんと届きます。
3¢の切手は額の中でゆっくりとおやすみください。

